受験老人日記~高齢で医学部と司法試験に大挑戦~

還暦を迎えた男が、医学部と司法試験を同時に合格することを目指すという無謀な冒険に乗り出した

わずか1か月の勉強で国の試験にも・・・・

正確な時期は忘れたが、大学院の修士2年の夏休み頃から、私は自分の研究について悩むとともに、将来の進路について悩み始めた。 このまま博士課程に進学して、本当に立派な研究者になれるのかという疑問が頭をもたげた。 それよりも、そもそも自分は研究が好きなのか、一生の仕事としてやっていけるのかという疑問がわいてきた。 ただ私は、そんな時になってもなお、不老不死の薬を作りたい、そしてそれでノーベル賞を取りた…

医師の研究者ってズルい?

このブログでは私の大学院時代の話をしているが、ちょっと休憩。 私が先日、出席した学会では、研究者に留学を勧めるセッションがあった。 日本学術振興会の特別研究員とか、ヒューマンフロンティアとか、その他財団から奨学金をもらったりすれば、何とか自分の腹をいためずに留学できる。 そうして進んだ海外の研究室で大いに自分を磨くのはいいと思う。 楽しく、夢が広がる。 だが、問題なのは留学した後である。要は、日…

大失態 その2

超遠心分離機の前でもじもじして何もしないでいた私を不審に思ったのだろう。N先生はつかつかと超遠心分離器に近づき、中をのぞき込んだ。 一瞬で事態を把握したN先生は、鬼のような形相に変わった。 そして言った。 「○○君、君が遠心分離機を壊したこと、これは信じられないミスであり、もっと気を付けて実験をしなければならない。 だが、それよりもっと悪いことがある。それは君が、この装置を壊したことを隠して、自…

大失態

私はがん細胞の正常細胞への分化に伴うがん遺伝子の発現状態の変化を突き止めたことで、またまた有頂天になった。 それを研究所の中で発表すると、皆、面白いと言ってくれた。 まさにそれは私が自分自身の発想で行ったことだった。だから、論文を書いても私自身が筆頭著者になれるぞ。そんなことまで考えた。 だが、その幸せな気持ちは長くは続かなかった。 それから約1か月後、Natureの巻頭に掲載された論文を見て私…

大挫折と再起

さて、がん専門家会合から意気揚々と帰ってきた私は、自分を栄光へ導いてくれる、培養されているがん細胞を見た。 おや・・・・ その細胞のプレートを顕微鏡で見ると、表面にたくさん細かいゴミのようなものが浮かんでいた。 コンタミ(細菌やカビなどで汚染されること)だった。しかも、細胞を増やしたどのプレートを見ても。 このようなコンタミのあった細胞はもう使うことができない。 私の実験は見事に失敗に終わり、栄…

新たながん遺伝子発見か?

がんの研究を始めた私は、夢中になった。 やり方はこうである。(ちょっと難しい話になる。) マウスの細胞を培養し、そこに人のがん患者から採取したDNAをバラバラにしてふりかける。バラバラにされたDNAの中には、それぞれがん患者のいろいろな遺伝子が含まれている。(ちなみに人の遺伝子は2万2,000ほどあることが分かっている。) すると、そうしてバラバラにされた人のDNAはマウスの細胞に張り付き、刺激…

がんの研究を始める

私は晴れて大学院生になり、ある研究室に所属した。 私がその研究室を選んだのは真核細胞を用いた分化の研究をやっているからだった。だから老化にも大いに関係していると思ったのだ。 進学先の指導教官は、当時は人気の雑誌 「週刊プレイボーイ」でも対談を行う等、有名な先生だったが、その先生は私にこう言った。 「君がまさか受かるとは思わなかった。私の研究室で研究したいと思う者はたくさんいて、中でもある優秀な学…

全ての生物学・医学研究は不老不死に通ず

「週末は実験を手伝ってもらいたい。」 そう、先輩にすがるように言われた時、私の気持ちは大きく揺れ動いた。 秘密裏に進めてきた東大理Ⅲ受験をどうするか。 せっかくここまで勉強してきたのだ。自分を試してみたい。 と、先輩の要請を断る気持ちの方が強かった。 しかし、先輩のすがるような態度を見ると、私としてはいやとは言い出せなかった。 彼は学位がとれるかどうかぎりぎりのところで、そのために完璧にデータを…

やっぱり東大理Ⅲを受けるんだ!

さて、ひそかに東大理Ⅲ受験をもくろんでいた私は、その後も受験勉強を続けていた。 勉強するのが楽しかった。問題が面白いように解けるし、何ら義務もない。 落ちれば大学院に行けばいいだけだ。 まあ、これは私の現在の状況に似ているだろう。ただ、再就職先がまだ決まっていないという点は大いに異なるが・・・・。 その後も試験を受けたが、また理ⅢはA判定が出た。私は、自分の能力が最高度に高まっていることを確信し…

院試には受かったものの・・・・

院試では、一年間の勉強の成果をすべて出した。 ドイツ語は結構できた。 なんせ、そのために「ドイツ語単語トレーニングペーパー」を買い込んで、1000語を完璧に覚えたのだ。 そして問題の生物や化学の試験では、ミカエリスメンテン式の応用等、面白いようにできた。 問題の内容はほとんど忘れたが、確かアセチルCoAの構造式を書けという問題が出されたと思う。 複雑だが、私は完璧に書けた。なんせ、それよりはるか…

東大理ⅢにA判定?!

私の院浪時代の話を続ける。  私が東大理Ⅲの受験も併せてやろうと決意したのは、確か3月頃だったと思う。 まず、ものは試しにと、二次試験の模試を受けてみた。駿台か河合塾のものだった。 当時はセンター試験ではなく共通一次と呼ばれていたが、それはとても簡単なものだった。それに東大は共通一次と二次の配点割合は1対9と、圧倒的に二次試験に傾斜配分していた。 だから私は共通一次は一切眼中になく、二次試験用の…

大村智先生のお話

昨日、ある学会で大村智先生の講演を聴いた。2015年のノーベル生理学・医学賞を受賞された科学者だ。 2000年以降、日本でのノーベル賞が量産されたため、もう名前を憶えていない人も多いかもしれない。でもその成果が人々や社会のためになったというと、この人が随一ではないか。 以下、ちよっと長くなるが、私なりにまとめたお話のツボを紹介する。 大村先生の発見したイベルメクチン、そしてそれから派生したさまざ…

東大理Ⅲも受けてみようか?

私は、次こそは院試に受かるべく、じっくり考えた。 実は本郷にあるその生物系学科は、進学振り分けでの偏差値は極めて高かった。 全部の学科のうちでも1位か2位にランクされていた。 1年生の丸1年間を棒に振り、専門課程ではかなり生物系を勉強したと自負した私も、 それは相当レベルが高かったのだ。 そこで、とにかく、どんなところから出題されても困らないよう、基礎からじっくり鍛えなおすことにした。 まずは、…

原理研

私はファインマンに傾倒したものの、不老不死の薬を作るという夢はあきらめたくなかった。 そこで、私はひとつ目標を立てた。 その時所属していた学科は、幅広くいろいろな学問を習得できる、いわゆる教養を身につけるための学科だった。 だが、大学院は、もっと専門的に不老不死のことを研究したい。 今の学科にずっといると、それはできない。だから大学院ではそれができる、生物系の別のところを目指そう。 そうは言いつ…

不老不死の薬とファインマン

東大で専門課程に進学した私だが、少し方向性が定まってきた。 それは「不老不死の薬を作る」というものだった。 また途方のないことを・・・・と思われるかもしれない。 だが私は結構真剣だった。 両親が年をとって死んでいくのが耐えられなかった。 人間は、せっかく富や名声を築き、愛情を獲得しても、死によってそれが一瞬のうちに崩れ去ってしまう。 不老不死こそ、自分の究極の願いだったのだ。 私は東大の理科Ⅰ類…

とにかくやるしかないっ!

とにかく、2年生になって、授業に出よう、と思った。 1年生のときは前期・後期とも悪い成績しか取れず、進学振り分けでどこにも入れないどころか、留年してしまうピンチを迎えていた。 これから巻き返すしかない。しかしどうするか。 まずは授業に出て、少しでも分かることをノートに書き留めること。 それから、分かりやすい参考書を探すこと。 考えてみると、私は中学・高校時代には、勉強のやり方で苦労することはなか…

挫折からの脱出

授業に全く出ないまま、1年生が過ぎようとしていた。 自分はこの後、いったいどうなってしまうのだろうか。 まるで他の人たちとうまくやっていけないのだ。 劣等感、落伍感、倦怠感、憂鬱感・・・・ありとあらゆるネガティブな感情が脳の中を支配していた。 それから、他の奴らが東大生であることばかりを鼻にかけ、恰好ばかりつけているように思えてならなかった。自分とは合わないと感じた。 だが幸いだったのは、そんな…

東大生にはなったけれど

私は上京した。 受験まで一度も東京に来たことがなかったため、全てが新鮮だった。 だが、本当は不安の方が大きかった。 自分は今までは、生活面がだらしなくても、勉強ができるということで皆にアピールすることができた。 しかし、東大生は皆勉強ができる。私には皆に誇れる取り柄がなかった。 私は劣等感に苛まれた。 授業に出ても、講師の言うことが難しくて聞き取れなかった。 目も悪いため、ノートに黒板の板書が書…

東大受験・・・・その結果は?

今から40年前の大学入試には、センター試験やその前身の共通一次試験がない代わりに、東大だけは大学で一次試験と二次試験を設けていた。 一次試験はマーク式で、完全に足きりだったが、理科を2教科、社会を2教科受けなければならなかった。 私は社会の勉強はほとんどしておらず、一応、日本史と世界史を勉強していたのだが、選択肢は実に微妙で、下手に考えると間違えるおそれがあった。 そこで私は一大決断をした。その…

ついに東大を受験した

私の高校3年生はもう10月に入っていた。 どの大学や学部を受験するかについて、とりあえず、私は迷ってはいなかった。 それは東大の理科Ⅰ類だった。数学や物理、工学などを勉強するところである。 私は、自分は数学や物理の才能はあるのではないだろうかと思っていた。 中学時代、数学はほとんど何もやらずに100点を取れていた。 高校の時も、数学では最初は1番になっていた。途中からは急降下していったが。 だが…