東大受験・・・・その結果は?
今から40年前の大学入試には、センター試験やその前身の共通一次試験がない代わりに、東大だけは大学で一次試験と二次試験を設けていた。
一次試験はマーク式で、完全に足きりだったが、理科を2教科、社会を2教科受けなければならなかった。
私は社会の勉強はほとんどしておらず、一応、日本史と世界史を勉強していたのだが、選択肢は実に微妙で、下手に考えると間違えるおそれがあった。
そこで私は一大決断をした。その場で受験科目を変えたのだ。
そして、世界史と日本史から、世界史と地理に変更したのだ。
なぜなら、地理の問題は、4つほど選択肢があり、正解の個数を書けという問題がほとんどだったからだ。
私はその回答として、全て2と書いた。まあ4つ選択肢があれば2つ正解があるというのが妥当なところだろう。
そんなサイコロ投げのような回答の仕方が功を奏し、私はなんとか一次試験を合格した。
ところが思わぬ伏兵がいた。風邪をひいたのである。
高熱が出た。どうやらインフルエンザらしかった。
二次試験はもう数日後に迫っていた。
なかなか風邪が引かなかったが、試験前々日の夜くらいになって、やっと熱が下がった。
私は神に感謝し、また二次試験のために西日本から東京まで出て行った。
しかし、全く自信はなかった。最後の追い込みがほとんどできていなかった。
奇跡でも起こらないかぎり、受かる目はないと思った。
だが、それは起きた。
数学の試験問題が配られた。
1問目から取り掛かった。少し考えさせる図形問題だった。
しかし、私はそれが解けたのである。
そして、それで調子づいたのか、次々と、面白いように問題が解けた。
結局、6問中、4問ほどは解けた。1問は半分。残り1問は解けなかった。
これまで赤本をやって、こんなに解けたのは初めてだった。
あとの科目は、とにかく自分の全精力をかけて解いた。
不思議と、力を出し切った爽快感が残った。
数日後、私は電話で東大に合格したことを知らされた。
長い戦いが終わったような気がした。私は晴れて東大生になったのである。
だが、それは終わりではなく、始まりだったことを私はまだ知らなかった。
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