受験老人日記~高齢で医学部と司法試験に大挑戦~

還暦を迎えた男が、医学部と司法試験を同時に合格することを目指すという無謀な冒険に乗り出した

正しく知り、理解すること(その2)

人は現金なものである。
自分のことにならなければ、他人事であり、真の痛みは分からない。


災害にあった人、事故にあった人、病気になった人、
障碍者になった人、障碍者を抱えている人、
そんな人たちの気持ちは、その人でなければ分からない。


私だってそうだ。


かつて阪神淡路大震災があった。
大変なものだということがテレビ映像等でよくわかった。
しかし、ピンと来なかった。
道路が壊れ、新幹線が飛び出ているのを見ても、どこか外国の風景のように思えた。
ただ、その後、当時神戸に住んでいた私の親友から話を聞き、悲惨な状況を知り、ああ、大変だったんだなあと感じた。それでも実感がわかなかった。


ところが、東日本大震災の時は、東京でも大きな揺れがあった。
受験老人はその時、東大の安田講堂でシンポジウムに出席していた。


最初、それほど大きくない揺れがあった。
演者は「まあこんな時も地震を持って話さねば・・・・」と冗談交じりに言いかけた。
ところが、その後、さらに大きな揺れがあった。
演者の話など誰も聞かず、我先にと出口に突進した。


そうして、受験老人は帰宅困難者の群れに交じって、そこから職場まで歩いて帰った。
職場の廊下に新聞を敷いて寝た。
すると途端に苦痛を感じた。こりゃ大変な災害だと。
被災者たちはそれどころではなかったにもかかわらず、彼らを思うことなしに、自分の痛みばかりが先だった。


その少し前にニュージーランドで大地震があったが、それも他人事だった。
さらにその何年か前、インドネシアなどで大津波があり、その時には東日本大震災よりはるかに多く、十数万人が死んでいた。
だがそれすら、他人事だった。日本ではない、ましてや自分とは関係なかったから。
ところが自分と少しでも関係すると、とたんに苦痛を感じ、不平不満を言うようになる。


何年か前、受験老人は目を患った。
網膜剥離になり、手術した。
しかし、医師は手術に失敗した。
その結果、網膜が何重にも重なり、目の中心は見えなくなり、横の景色は烈しく歪んだ。
片目失明したも同然だった。いやそのうち失明すると言われた。
医師は、まあ仕方ない、もう片目があるから眼鏡をかけて片目は使わなければいいでしょうと、他人事のように言った。
受験老人はその後、医師を探し回り、やっと治療してくれる医師に行きついた。
その医師は重なった網膜を鉗子で引っ張り、見事に治してくれた。最高の医師だった。


受験老人はそうなって初めて、目を大切にしなければならないと分かった。
それまでは全くの他人事だった。
有名人でも、片目(隻眼という)で頑張っている人も多くいると分かった。
野田秀樹、樹木希林、岩井友見、タモリ・・・・
この人たちは、それでもめげず、常人以上に大きな仕事をしている。
その偉大さに恐れ入った。しかしそれは実際に自分が目を患ってからである。


受験老人は認知症と聞いても、ピンと来なかった。
まあ、死の苦しみを感じなくていいだけ、本人はハピーだと思っていた。
しかし自分の母が認知症になり、帰省して世話をするようになると、その苦しみが分かるようになった。


絶えず、わめき散らされる。夜もお構いなし。
歩き回り、勝手に排泄する。


すると、それを高齢で一人で介護している父の気持ちが痛いほど分かるようになった。
それまではどこ吹く風、まあ介護保険でヘルパーさんやデイケアやホームスティを使いながら、家で世話すればいいんでないの、と勝手に考えていた。
しかし、自分で世話をするようになるとたまらず、母を施設に入院させた。
身をもって感じたからだ。


と言って、介護施設の職員さんたちの気持ちが分かるかと言うと、決してそんなことはない。介護施設で働いた経験がないからだ。決して分かっていると偉そうに言えない。


それに・・・・母自身の気持ちが分かるかと言うと、そんなことも絶対にない。
自分は世話をする側であって、世話をされる側ではないからだ。


そして、同じ介護でも、認知症の介護と、それ以外の障碍者の介護では違う。
そして介護される側の気持ちもそれぞれ違う。


・・・・だからこそ、正しく知り、理解するためには、想像力が必要なんだと思う。
自分自身が偉そうに言えないのだ。
だからこそ、もっともっと想像力を働かせ、正しく知り、理解しないといけないと思う。
繰り返しになってしまった。自分自身に言い聞かせている。


コロナのことが書きたかったが、続きは次回。