受験老人日記~高齢で医学部と司法試験に大挑戦~

還暦を迎えた男が、医学部と司法試験を同時に合格することを目指すという無謀な冒険に乗り出した

正しく知り、理解すること

かつて東日本大震災が起きた時、受験老人は志願して現地に数十度足を運んだ。
現地でいろいろな計画の作成に携わり、避難住民の帰宅のお世話をした。
住民のお世話は大変だったが、楽しかった。


福島に行くもう一つの楽しみは、地元の新鮮な野菜や果物だった。
特に震災のあった年には、集荷場で馬鹿みたいに安く買うことができた。
通常の3分の1くらいの値段だったろうか。とにかく安かった。
もちろん、放射能が残っていないか、きちんと調べられていた。
受験老人がそれを買って家に戻ると、家族は喜んで食べた。


また、福島では、店を開けている海沿いの食堂では、魚をおいしく食べられた。
海沿いも、少し離れたところでは放射能濃度も急激に落ち、検出限界を下回っていた。


だが、福島のものは売れなかった。人々は放射線を怖がり、買うのを敬遠した。
そして各地に逃げていっ人たちに対するいわれなき差別が起きた。放射能が移る、近寄るなと。


そんな時、池上彰さんが「放射線は正しく恐れよ」という言葉でニュース解説をするのを聞いた。
ああ、なるほどな、と思った。
元はと言えば寺田寅彦の文章からとられた言葉だと聞いた。
正しく出典から引用されていないそうだが、それはどうでもよい。
受験老人の頭にはぴんと響いた。


受験老人はその後、大学で講義を担当した。
すると、世の中には、放射線だけでなく、いろいろなもので、正しくこわがらねばならないものがあるということに気づいた。


遺伝子組換え食品、化学物質、病原菌、地球環境問題、AI・・・・


思い込みによって、必要以上に危険だとみなされてしまうものがある。
また逆に、思い込みで必要以上に楽観視されるものがある。


それを学生たちと議論した。
彼らとの議論は楽しかった。一生懸命考えようとするのが見て取れた。


最近、この「正しく恐れよ」という言葉がコロナ騒ぎで取り上げられ、
そしてその後、この言葉の価値が安易に貶められているような気がするが、
決してこの言葉は軽んずべきではない。


一番怖いのは、固定観念である。
自分の頭の中で、これはこういうものだ、という固定観念が出来上がってしまうと、それからはみ出すものは正しく評価できなくなる。


それは、決して危険、安全に限ったものではない。
他人に対する見方、いろいろな行動に対する評価、等々、全てのものに当てはまる。


私だってそうだ。
これまで自分の意見だと思っていたものは、実はマスメディアや他人の意見等によって作られたものだということに気づくことがよくある。
一方の側の意見だけ入れられると、そうした考えになる。
マスメディア等には人々の考えを誘導する力がある。
声の大きな人の意見とか、その場の雰囲気についつい引きずられてしまう。
それには気をつけねばならない。


あくまで、とらわれない柔軟な心を持つことが必要だと思う。


自戒を込めて・・・・おっとテレワークの準備が必要だ。続きは次回。