受験老人日記~高齢で医学部と司法試験に大挑戦~

還暦を迎えた男が、医学部と司法試験を同時に合格することを目指すという無謀な冒険に乗り出した

ブログの終了について

突然ですが、このブログを終了させてもらいます。


私は、このブログを始めた時、こんなことを考えました。


ブログは、自分自身のためにやろう。
ブログを書くことで、ともすれば流されがちの自分自身を奮い立たせることができる。
そして、自分の思いを書いていくことで、自分の考えが次第に固まってくる。
さらに、これまで自分自身が知らなかった意外な自分の本当の姿が見えてくるだろう。


そう、まさにこのブログは自分自身のためにやっていました。
おそらく、他の多くの人たちもそうだと思います。


しかし、一方で、もう一つ考えたこと。
しがない老人の自分が一生懸命努力しているところを見せることで、
ブログの読者に、アホやなこいつ、と呆れられながらも、
それでも、こんな年寄りだって努力してるんだから、自分たちだってできるはずだ。
私より若い読者、さらには私より年が上の読者たちにそんな元気を与えてやりたい。
そう思っていました。


その意味で、そのいずれかが欠けた時は、このブログをやめる時だと思っていました。
とりわけ、自分の生き方や人間性そのもの、又は人格を否定されるような意見が、
1人でもそんな意見があった場合には、ブログを辞めようと最初から考えていました。


実は、そのような事態が前回のブログで起こりました。
コロナについて見た、私の悪夢を紹介した記事についてでした。


失礼かもしれませんが、その方の御意見をそのまま掲載します。
・・・・・・・


「今このネタを扱うなら
”夢”であることは前置きすべき
それを後ろに置く、というのは
あなたの人間性が表れているということです


>だが、いったん感染した者に対しては、差別せずやさしい社会であってほしい。


そういう意識が
”あなたにはないから”
世間で差別的に扱われている出来事をネタにし、ブログで遊んでるんです
コロナ感染がすでに過去のものであれば
そのネタは、笑うためのものとして扱われていもいいでしょうが
今、それを書くのは
あなたの人間性をそのまま表現している
ということになります」


・・・・・・


驚きました。
この方からの返信は初めてでした。
一生懸命努力されている方で、同じカテゴリー内なのでその方のブログをよく拝見し、
ああ毎日頑張ってられるなあと思っていました。


ところが、突然、すごく唐突に、このような言葉でお便りをいただいたのです。
私のブログのどの部分が、この方の怒りにつながったのか、分かりませんでした。


これに対し、私としても正当化したい部分もあります。
(言い訳になると分かっていますが。)


〇「"夢"であることは前置きすべき」という御指摘については・・・・
ブログのタイトルが、そもそも「悪夢」になっています。
読者には、今回の話のツボはそれだなと、ははんと頷いていただけると思っていました。
(しかし分かってもらえなかったとすれば、私の試みは失敗だったことになります。)


〇「ブログで遊んでるんです」という御指摘については・・・・
上で述べたように、ブログは第1に自分のためにと考えています。
ですから、ある意味「遊んでいる」のは否定しません。


小説が小さな説であるように、ブログは個人のものです。
そう思って自分のためにブログを書かれている方が大部分ではないでしょうか。


どのように活用しようが、自分の自由で、ブログで遊ぶことも許されると思います。
(勿論、節度を守らねばならないのは当然ですが。)


なお、その意味で、ブログには多少の創作も含まれていていいと思います。
ただ、今回の夢は創作ではなく、本当に3日前、私が見たものです。
年を取ったせいか、眠りがすっかり浅くなり、一晩に多くの夢を見るようになりました。
いい夢も、悪い夢も見ます。その一つがこれだったということです。
あまりに生々しく、また読者に伝えたいこともできたので、文章にしてみました。


〇「あなたの人間性をそのまま表現している」という御指摘については・・・・
残念ながら図星です。
私はそんなに立派な人間ではなく、小さな人間です。
自分のことにはことさら敏感ですが、他人のことをなかなか思いやることができません。


私だけでなく、多くの人もそうかもしれません。
ですが、自分は特に、人の気持ちが分からない人間だと思っています。


だからこそ、いろいろな読者のブログを読ませてもらっています。
手っ取り早いのは「nice」マークを付けていただいた方のことを知りたいと思い、
それぞれのブログをできるだけ遡って読ませてもらうことです。


するとその方々の人生、とまではいかないですが、考え方が分かってきます。
すると不思議な共感が生まれます。


介護施設のこと、野菜作りのこと、ペットのこと、減量のこと、自分自身の病気や障害のこと、障がいを抱えた御家族のこと、部下や仕事先との葛藤のこと、趣味のこと、宗教のこと、散歩のこと、いろいろあります。私のすぐ近くに住んでおられる方、遠く異国に住まれている方。


皆、その人なりの悩みを抱えています。
いやはや、実にいろんな人生があるなと思います。


しかし、更新されるブログを読んでいると、まるで自分がその方たちと人生を並走しているような気になります。


私は小説好きで毎年100冊ほどは読んでいますが(最近はコロナで図書館で借りれず大幅ペースダウン)、読めば、登場人物の人生を辿れ、鈍感な私でも人生を何倍にも味わうことができました。


ですがブログはもっとリアルな人生が体感できます。
(だからと言ってその方たちには決して寄り添えるものではありません。そのように感じているとしたら、傲慢だと思います。)


私の意見への反論( 政権、宗教、科学、エネルギー、医療、好きな作家等)は大歓迎し、喜んで議論させてもらおうと思ってきました。
実際に、私が現政権を擁護するような姿勢とか、特定の作家を支持する姿勢や、特定の宗教を批判するような姿勢を見せた時、niceボタンを押してもらえなかった方もいました。


でも、私はその方々のブログを普段から拝見しているので、その気持ちも分かりました。
なるほど、この人ならこう考えるだろうなと納得しました。
しかしそれによって、その方たちへの私の信頼は微塵も揺らぎはしませんでした。


ただ、そうした御意見と今回の御意見はずいぶん毛色が違ったものでした。


上述のように、この夢の内容は実体験に基づくものです。
なぜブログに掲載したかというと、この体験で、コロナに感染してしまった人の気持ちが一瞬、自分にも分かったような気持になったからです。
(起きた時にはびっしょり寝汗をかいていました。)


それまでは、自分自身はきちんとやっているから感染はしないと思っていました。
感染してしまった人たちに対し、理由を問わず非難するような気持もあったと思います。
しかし感染を疑似体験してみると、自分がいかに想像力に欠如していたか分かりました。


少しは感染者の気持ちに近づけたかもしれません。
ただ、それでもその人たちのことが理解できたとは口が裂けても言えません。
とにかく、自分が分かるには、その立場に実際に自分がなってみるしかないのです。
少なくとも私の場合は。それは私自身の未熟さを意味します。


そして、こんな自己弁護をいくらしたところで、この方を不快にさせたのは事実です。
たとえこの1回分だけ読んでそう感じられたとしても、その責任は私にあります。
ブログ全体を読んで、私のことをよく理解してから言ってほしいとは言えません。
ブログを書いた以上、そのどの一文も、一単語も、責任は自分で負わねばなりません。


そうして、人間の性として、いったん否定的になると、歯止めが利かなくなります。
いったん気に入らない人ができると、その全てを否定したくなるようになります。
少しの文章、1つの単語でも気に食わないところを捉えて批判したくなってくる。
それが人間というものだと思います。


私自身、自分がそうなることを恐れています。
この方のブログを読ませてもらいました。
しかし、どうしても、この方を批判するような気持が先に立ってしまう。
私の先入観にすぎません。絶対そんな気持ちで読んではいけないと思います。


この方は40代にして勉強に目覚められました。
毎日、御多忙の中で少しでも時間を見つけ、勉強に取り組まれています。
また、勉強と並行して、ジョギング等にも取り組まれています。
しかも、勉強をした結果として、何か成果を求めることはありません。
今のところは、単に勉強そのものをしたいがゆえに取り組んでおられます。


すばらしいことです。そして、強い方だと思います。
資格取得や大学受験という結果を求める功利的・打算的な私とは大違いです。


本来、同志として、お互いに励まし合いつつ、進んでいきたいと思っていました。
でも、それができないでいる自分がいます。
そういう嫌な自分を脱却するには、自分の方から離れるしかありません。


それから、もう一つ考えたこと。これはもっと私にとって重要なことです。
このように、たとえ一握りの人たちでも、私のブログで不快にさせてしまったとしたら、
将来、医師や弁護士となって、患者やクライアントのことを思いやること、
その人たちの立場に立って仕事をすることなど、絶対にできやしない。


それは、年だからそんな職業には就けない、というよりも、もっと大事なことです。
それは、そもそも自分が医師や弁護士には向いていない、ということを意味します。


これについて、もっともっと、よく考えてみたいと思います。
そして、そのために、いったんブログを終了させてもらいます。
充電期間を置きたいと思います。自分自身がもっと成長していくために。
また戻ってくるかどうか分かりません。こう言いつつも、優柔不断な人間なので。


ただ、読者の皆さんのことは、ずっとブログで見続けさせてもらいたいと思います。
これまでありがとうございました。