宗教、死後の世界、超能力(その1)
人は死んだらどうなるのだろう?
小学生の頃のある日、受験老人はそんな思いに憑りつかれた。
死んで別の世界に行くのではなく、何もかもなくなってしまったらどうしよう。
いつか父も死に、母も死に、自分も死んでしまうんだ。
そう思うと怖くて仕方なかった。眠れなくなった。
受験老人の家は母方も父方もある宗教の信者だった。
マイナーな土着の宗教で、父と母はそれが縁でお見合いをし、結婚した。
その宗教によると神様が人間を作ったことになっていた。
受験老人は小さい頃はそれを信じた。
人間は皆、神様によって創られ、生かされている、と思っていた。
しかし、死んだらどうなるのかは分からなかった。
その宗教もはっきりと言ってはいなかった(ように思う)。
死んでみなければ分からないと思った。
その後、生物学や生命科学を深く知るようになるにつけ、
人間や生物は、何も特別な法則で生きているのではない、ということが分かった。
人間は単に分子の集まりに過ぎず、物理や化学の法則にしたがっていることが分かった。
神様なんか絶対にいないと思うようになった。
だが一方で、こんな複雑なものが、本当に自然に誕生したのか、不思議でならなかった。
その点において、神様はいるのかもしれないと思った。
そして、よく調べていくうちに、神様を否定できない何かがあると思うようになった。
一方、受験老人は超能力を信じていた。
大昔、ユリゲラーがテレビでスプーンを曲げるのを見て、超能力は絶対にあると信じた。
自分で毎日のようにスプーンを曲げた。しかし曲がらなかった。
そのうち、超能力など、あるはずはないと思った。
だが、受験老人の親戚にスプーンを曲げる人がいた。父から聞いた。
受験老人も知っている、ウソなど絶対つかないような気さくな人だった。
その人は台所にある普通のスプーンを曲げることができた。
しかも、爪楊枝の先をコップに立てることができた。
体調の良しあしによって、スプーンが曲げられなかったり爪楊枝が立たなかったりすることもあるそうだ。
だがかえって信ぴょう性があった。
さらに、車に乗って通ったところで、最近、この辺りで人が死んだんじゃないかと言い出し、調べると本当に直前に交通事故があった。
ううむ、よく分からなくなってきた。偶然かもしれぬ。
・・・・そんなわけで今後何回かにわたり、これまでの受験老人の体験を元に、宗教と死後の世界と超能力の関係について語りたい。
これまで述べてきた「正しく知り、正しく理解すること」と矛盾するように見えるが、もしかするとそれを研究するのは必要なことかもしれない。
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