受験老人日記~高齢で医学部と司法試験に大挑戦~

還暦を迎えた男が、医学部と司法試験を同時に合格することを目指すという無謀な冒険に乗り出した

相模原事件に想う(その1)

施設で生活する多数の知的障碍者の命を奪った犯人に極刑が下された。
しかし、考えることの多い犯罪だった。
被害者や被害者の家族のことを思うと、いたたまれない。
だが、犯人に、命の重さを納得させるにはどうしたらよいのか私には分からない。


まず、人と動物の命は同じか違うか?
実際には、たとえゴリラやチンパンジーを100人殺しても、人間を1人救おうとする。
すなわち人間が支配する世界では人間の 命は他の動物の命の無限大大きい。
命というものはどんなものでも1つしかないにもかかわらず。
一応、動物の命もある程度は尊重され、不要な殺生は慎まれ、食べるときの感謝は忘れないようにされている。愛玩動物などは、飼い主からすると家族と同様の価値を持つ。
しかしゴキブリや病害虫は積極的に殺される。目に見えない細菌は抗生物質で退治される。
人に害を及ぼすからである。これは人間の尺度による価値観である。


一方、人の命については、どんな者でも命は平等になっている。
法律的には殺人は殺された者の人種や身分にかかわらず同じであり、量刑に差別はない。
かつては尊属殺人という刑があり、普通の殺人より重くされていた。しかし、父親にさんざん弄ばれて何度も妊娠・中絶した娘が父親を殺した事件に鑑み、他の殺人と量刑は同じに変更された。(尊属殺人の条文は刑法から削除された。)


人の命は本当に平等か?
たとえば無頭症で生まれてきたものはどうか? 生まれてすぐに死ぬし、もはや人間とは言えない彼らの命は普通の人より軽いかもしれない。


それでは障がい者はどうか?
出勤時間が迫って来たのでここまでとし、次回、私なりの意見を述べたい。