我が受験勉強に一片の悔いなし・・・・か?
試験が終わった後、自分なりに敗因を考えた。
まだ結果は出ていないので、ちょっと早いかもしれないが。
やはり第一は、勉強時間の不足である。
自分は、タカをくくっていた。
自分は、医学部受験のために毎日2時間ずつ勉強すればどうにかなる。
たとえ2時間でも、毎日やれば相当な勉強量になる、と。
医学部受験生で1日に8時間も10時間も勉強しているのは、よっぽど効率が悪いんだろう。
自分ならもっともっと効率的に勉強ができる、と。
第二に、二次試験に備えた実戦型式の不足である。
センター試験の時には、問題形式に慣れるため、1か月前から模擬テスト問題集をやった。過去問と合わせ、合計15回ほどやったろうか。
最初は箸にも棒にもかからなかったのが、ぐんぐん成績が上昇した。(平均で20%ほど上がった。)
ところが、二次試験に備えた実戦練習は全くといっていいほどやらなかった。
私が受験する大学の赤本も買わず、ネットから過去問をプリントアウトしたのは前日のことだった。
しかもその問題をざっと眺めただけで、自分で解いてみることはしなかった。
直前に追い込んで大量に問題集の問題をやったことで、どんな問題が出ても何とかそれなりに対応できると思っていたのだ。
だが、その大学の問題は相当難しいことは、実際に解いてみるまで分からなかった。
それらをしでかしたのは、自分自身に対する過信だった。
自分は、勉強だけは得意だ。自分なら、勉強時間は少なくても、何とかなるだろう。
自分なら、いきなりぶっつけ本番でも、何とかなるだろう。
そうして、自分にカッコをつけていたのだ。まさに「己を知らず」だ。
おそらく、30年、いや10年前の自分だったら、それでも全然大丈夫だったのだろう。
だが、計算違いがあった。それは老化。
記憶力も、集中力も、計算力も、スピードも、そして理解力も、全てが急激に衰えていたのだ。
それを補うには、若い人たち以上にたゆまぬ訓練、研鑽が必要だった。
短時間で、カネをかけずにとフレーズばかり並べても、結局、通らなければ全く意味がない。
まあ、しかし、敗因も含め、自分で全部の責任を受け入れることだ。
とにかく、ここまで頑張ってこれた自分で自分を褒めてやりたい。
稀勢の里じゃないが、「我が受験勉強に一片の悔いなし。」
・・・・でも、本当か??
実は、悔しくって仕方ないのではないか。
・・・・そう思えば思うほど、悔しくなってきた。悔しくて悔しくて。
いろいろなことが、浮かんでくる。
二宮金治郎式勉強法、電車の中勉強法、ペーパー式勉強法、皇居勉強法、大阪城勉強法、10分間勉強法、ストリップ式健康法、精神集中勉強法・・・・
そして、勉強でケガをしたこと2回。最後には介護もしなければならなくなった。
それらが走馬灯のように頭の中に浮かぶ。
全てパーになってしまうのは、あまりにもったいない。
ようしっ、もう一回受けようか。
この時点をスタートに、再び頑張ってみよう。
(この時、私の中には新・巨人の星の「甦れ飛雄馬」のメロディが流れた。)
ただし、5月の司法試験の予備試験(短答式)が終わるまで、又は論述試験が終わる6月まではそちらの準備に集中しよう。
予備試験に落ちた時点で、再び受験老人の二刀流のスタートだ。
ただしその時は、今回の教訓を踏まえ、絶対受かるような勉強をしよう。
(というわけで、読者の方々、バカな私ですが、引き続きお付き合いをお願いします。)
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