受験老人日記~高齢で医学部と司法試験に大挑戦~

還暦を迎えた男が、医学部と司法試験を同時に合格することを目指すという無謀な冒険に乗り出した

類型化は大切だが・・・・

あと試験日まで今日を入れて4日間しか準備期間はない。


受験老人が設定した、12日間で800題解くという数値目標は、結局掛け声だけに終わりそうである。
 
   2/12-2/13-2/14-2/15-2/16-2/17-2/18-2/19-2/20-2/21
数学残数 470  445  410  402  396  350  305  275  241
物理残数 159  140  134  126  119  115  105    97    87
化学残数 184  171  157  148  146  129  117  110  103
残数計  813  756  701  676  661  594  527  487  431
やった数     57    55    25    15    67    67  40    56


それでも、こうしてブログに公開し、宣言したことから、やる気が出た。その効果は大きい。


現在で、数値目標の半分しかクリアしていないが、それでも、


・数学は、今日で数Ⅲチャートの2周目を終わらせる予定。2回目は問題を類型化して考えることができ始めた。


・物理は、昨日から漆原の明解の2周目を始めた。2回目は問題を類型化して考えることができ始めた。


・化学は、今日で重要問題集の準必須問題を終わらせる予定。必須問題も併せて復習しているため、問題の類型化ができ始めた。


そう、必要なのは類型化、すなわち問題を見て、瞬時にどれかのパターンに分類し、そのパターン独自の解法に当てはめることである。


それが、まがいなりにもでき始めたのである。


考えるに、研究と違って、受験勉強には必ず「答え」がある。また解き方も、長年の積み重ねを経て、洗練されてきている。


だから、受験勉強は本当は楽なのである。やれば必ず正解に行きつくだろうし、また、正解に行きつくまでの時間もきちんと設定されているのである。


問題を見て、パッと、ああ、このパターンだなと分かりさえしたら、しめたものである。あとは鉛筆が勝手に動いてくれる。
 


ただ、全く関係ない話だが、この「類型化」、実社会においては注意すべきである。


人を判断するのに、類型化してはいけない。ステレオタイプ化してはいけない。上っ面だけで判断してはいけない。


外見とか肩書とかにとらわれると、その人の本当によい内面や本質に気づくことができないこともでてくる。とことん話してみて、ようやくその人の人間性を把握できることもある。


自分自身も気を付けないといけないし、逆に、他人を類型化しがちな人との付き合いには気をつけないといけない。


自分が真に困っている時に逃げて行ってしまうかもしれないから。
 


脱線してしまったが、しかし、とりあえず、受験勉強においては類型化は必要だ。


そうして、ルールに従って勉強しさえすればよい。最も必要なのは、「毎日やり続ける力」なのだろう。


受験老人は、この点しっかりやったとは思ったが、残念ながら、司法試験の予備試験との二股では、あまりに勉強時間が少なすぎた。(1日2時間程度。)


最後の最後でやっとこの類型化に行きついた状況では、実践演習が足りなすぎた。


今から敗戦の弁を語りたくはないが、もし来年、もう1度だけチャンスがあるならば、今年の二の舞はすまい。