有名人のがん告白について思う
八千草薫、池江選手、堀ちえみ・・・・このところ立て続けに有名人ががんの告白をした。
私は、よいことだと思う。彼女らはがんと闘うという姿勢を明確にしたのだ。
昔は、がんになると、それだけで落ち込み、ふさぎ込み、他人から遠ざかるという人々が多かった。
だから、告知も、本人に告げるとショックを起こすので、家族だけに告げ、本人には気づかれないように腫れ物に触るように扱った。
本人は、自分の病気を知らされず、疑心暗鬼のまま病状が悪化していく。
でも、今は、基本的に本人に告知をするようになっている。
終末ケアも含め、本人に選択肢を提示するが、遺伝子診断等に基づく個別化医療もずいぶん進んできた。
選択肢は増えている。山のように臨床試験が行われている。
私は米国のNIH(国立衛生研究所:日本のライフサイエンス研究予算の10倍以上を1つの研究所で管理している。)に行ったことがあるが、そのような臨床試験を全て公開し、日本からでも参加させてもらえ、しかも滞在費もだしてもらえるという。
こうした臨床試験があるかぎり、希望は捨ててもらいたくない。
彼女たちも、心の中は不安でいっぱいだろう。もう治らないかもしれないという思いもあるだろう。
だが、こうして自ら公表することで、がんと闘う姿勢を周囲に宣言することで、気持ちを奮い立たせているのである。
それを応援する人たちがいれば、彼女たちはより励まされるだろう。自分一人ではなく、皆と一緒に闘っている気持ちになれるのだろう。
そういう意味で、私は彼女たちの気持ちも分かるし、がんでブログを書く人たちの気持ちも分かるつもりだ。そうした人たちを微力ながら元気づけたいし、逆に私がもしそうなったら、ブログを書いて慰めてもらえたらとも思う。
繰り返し言う。治療法があるうちは、絶対に希望を捨てないでもらいたい。医療技術は日々、進歩している。
ただ、安易な思い込みが禁物なのは当然である。実際にはがんはまだまだ治らない病気であることは間違いない。特に発見が遅れた場合は。
だからこそ、医療をもっともっと進展させることは重要だ。そして、それを担う研究者の育成も。
以前書いたような気がするが、東大医科研の中村祐輔先生は「医学の研究者は好奇心だけで研究をするな。常に患者のことを思え。」と言われた。
これは、物理の小柴先生の「私の研究は役に立たない。そんな研究が大切だ。」とか、本庶先生の「好奇心を大切にしろ。」とは正反対の考え方であるような気がする。
だが結局は、医学系の研究は最終的には実用化され、患者のためになってこそという思いがある。
自分は結局はそうした実験系の研究者にはなれなかったが(まだ望みは捨てていない??)、医学系の研究者にはぜひそうした気持ちを忘れないでいてもらいたいと思う。
さて、申し遅れたが、昨日から今朝にかけての勉強結果は散々だった。とりあえず記しておく。
2/12-2/13-2/14-2/15-2/16-2/17-2/18-2/19-2/20
数学残数 470 445 410 402 396 350 305 275
物理残数 159 140 134 126 119 115 105 97
化学残数 184 171 157 148 146 129 117 110
残数計 813 756 701 676 661 594 527 487
やった数 57 55 25 15 67 67 40
ぎゃあっ、全然進まなかった。呑気にブログを書いている身分じゃないっ!
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