受験老人日記~高齢で医学部と司法試験に大挑戦~

還暦を迎えた男が、医学部と司法試験を同時に合格することを目指すという無謀な冒険に乗り出した

雪に想う

(現在、親の介護で西日本にいる。実は、関東での大雪を予想してあらかじめ以下の文を書いていた。ただ、実際にはそれほどの雪は降らなかったとのことで、少し場違いなものになってしまった。だが、せっかく書いたのでブログに載せておく。)



「夜になって風がなく気温が零下十五度位になった時に静かに降り出す雪は特に美しかった。
 真暗なヴェランダに出て懐中電燈を空に向けて見ると、底なしの暗い空の奥から、 数知れぬ白い粉が後から後からと無限に続いて落ちて来る。
それが大体きまった大きさの螺旋形を描きながら舞って来るのである。
そして大部分のものはキラキラと電燈の光に輝いて、結晶面の完全な発達を知らせてくれる。
 何時までも舞い落ちて来る雪を仰いでいると、 いつの間にか自分の身体が静かに空へ浮き上がって行くような錯覚が起きてくる。」
 中谷宇吉郎「冬の華/雪雑記」より



私はかつて、金沢に2年間ほど住んだことがある。普段は東京ではなかなかお目にかかれないどか雪が日常で、職場にも長靴で通った。


まだ子どもたちが小さかったので、カマクラまがいのものを作ってよく遊んでやった。



中谷宇吉郎の雪の博物館は、その頃住んでいた家から車で行ける距離にあり、何度か行ったことがある。私はそこで彼の、雪づくりにかける情熱に魅了された。


中谷博士が雪の研究を開始したのは、あるきっかけがあった。それは、アメリカの農夫が撮影した雪の結晶の写真集を見たことだった。


ああ、こんなきれいな結晶を、自分で作ることはできないか。


博士はその思いを持ち続けた。


そんなことは不可能だと人に批判されても、しつこくこだわり続け、何千枚、何万枚もの雪の結晶を写真に撮りつつ、試行錯誤を続けた。、それがついに、世界初の雪の結晶の人工合成につながったのである。



私は中谷博士のこうした経緯から、2つのことを学んだ。


一つ目。
人間が何かをやり始めるきっかけは、どこにでも転がっている。我々の周りにはいろいろなできごとがある。


しかし、そのような雑多なできごとからどれを選び取るかは、本人の感性に関わってくるということ。いわば「感動する力」というもの。


雪の結晶を見ても、へえっ、こんなものかで終わると、何も始まらない。


いつも純粋な気持ちを持ち、感性を磨き、感動することで、人は何かを始めるモチベーションが得られるのではないか。



二つ目。それは、持続する力。


何かをやり始めたとしても、なかなか長続きしないものである。


目標が高すぎたり、誰もやっていなかったり。他にいろいろな誘惑があったり。


でも、本人の中に、常にそのことに対する強い思い、すなわち情熱があれば、たとえ誰に批判されようとも、一つのことにこだわり、続けていくことができる。


そうしたこだわりは、研究者にとっては特に必要なことなのだろう。



ううむ・・・・自分にはそれがあるか。


まず、何かのきっかけとそれを選び取る力・・・・最近、感動することがあまりなくなってしまった。


情報が氾濫する現代には、刺激的な記事があちこちにある。確かにその都度、ちょっと驚いたり、ちよっと喜んだり、ちょっと怒ったりする。


だが、それらはあっという間に目の前から去り、次の刺激にとって変わる。たとえばネットサーフィンをして、いい話に遭遇しても、感動は5分と続かない。


小説やドラマを読んだり見たりしても大きな感動がなくなってきた。結果が予想されるのである。


だから、平坦な日常を扱うものでなく、刺激を求めて事件が起こるミステリー、しかもイヤミスなど勧善懲悪にならないものに走りがちになってきた。(それが悪いわけでは全くないが。)


どんどん感性が鈍くなり、純粋な感動が得られなくなっている。できごとを感知するアンテナが衰えているのである。年をとったことも原因か。



それから、持続性。これも長続きしない。


たとえば仕事や勉強。同じ仕事を1時間続けただけでへとへとになる。休憩が必要になる。甘いものを食べて何とかがんばるが、付け焼刃である。


英語の論文を読む機会も多いが、ちょっと読み始めるとすぐに眠くなってしまう。最後まで読み通せず、さわりを読んだだけで納得しようとする。


持続性がない結果、どうなるか。


仕事の上で、これは私にしかできない、と自信を持って言えるものが一つもない。(行政では、それが特徴かもしれないが。)
これまでずっと仕事をやってきて、何か身につけることができた専門知識があるかというと、何もない。


本当に、若い頃から料理人に弟子入りするとか、とびになって親方から家づくりを叩き込まれるとか、陶芸を始めていれば、今頃ははるかに高みに上れたのではないかという幻想を抱く。


だが、今となっては後の祭りである。


時間は巻き戻せないが、今後は何とか継続していきたい。
(しかし今やっている医学部受験も予備試験受験もたかだか1年の話ではないかと思うとがっくりくるが。)


雪のように淡く消えるものを、ずっと継続させることで結晶は形が整う。私自身も雪によって覚醒できればと思う。


皆様、雪道には気を付けて。