決断
母の介護という重い問題がのしかかり、途方に暮れている受験老人である。
心配で、仕事はともかく勉強はなかなか手に着かない状態が続いた。
とにかく、自分の我儘を貫き通すわけにはいかない。親があってこそ今の自分がある。
あんなに可愛がって私を育ててくれた母である。
私は小さい頃、要領が悪く、周囲の者皆に馬鹿にされていた。だが、どんなに馬鹿にされても、母は、私のことを信じてくれた。
考えてみれば、まだ研究者を志していた頃、この母(と父)のために不老不死の薬を作るんだと決意した私ではなかったか?
私は介護のために職を辞すことも考え始めた。
だが、貧乏老人、お金もない状態では介護といっても一苦労である。本当にどうすべきか、悩みに悩んだ。
とてもじゃないが、受験なんて無理。その後の構想が全く思い描けない。
ただ・・・・やはり、勉強時間は少なかったとはいえ、昨年4月から10か月間、自分なりに努力はしてきたのである。
最後の最後であきらめたくない。それは敵前逃亡と同じである。
今から40年近く前、大学4年生の時の体験が、デジャブ―のように蘇る。
その時には東大理Ⅲを受けようと意気込み、センター試験(当時は共通一次)の願書も提出していた。
だが、実験を一緒にやっていた博士課程の人から、学位取得のため、どうしても週末に手伝ってもらいたい旨懇願され、やむなく受験を断念した。
あの時もしも受験し、そして、万が一にも受かっていたら、私の人生はどうなっていただろう。
そのように、よく夢想する。もしかしたら、全く別の人生が開けていただろう。
就職のときもそうだった。二者択一で最後まで悩んだ。結局、就職先を決めたのは、面接時間になっても来ない私にしびれを切らしてかかってきた担当者からの電話だった。
私はいつも、自ら道を選択するのではなく、受動的に選択をせざるをえない道をとってきたのである。
たまには、自ら選択してもよいではないか。
と思い、受験老人は、今回だけは、とにかく、受験をすることに決めたのだ。
行くか行かないかの決断をするのは合否が決まってからでいい。
(むしろ、合格ラインよりはるかに下で落とされ、悩む機会など存在しないような気もするが。)
そうして、今から3日前の2月1日、私は希望する大学に申し込んだ。
そして、その日は、おりしも司法試験予備試験の申込期限と同じだった。
2つの申し込みを同時にやるのは手間取った。
貼付する写真の大きさが違う。片や振り込み、片や収入印紙添付、卒業証明と成績証明ができない旨の証明、住民票・・・・
事務能力のない受験老人はこんがらがり、ずいぶん時間がかかった。
職場の近くの郵便局で申し込んだ。同じ名前で「○○大学医学部受験」と「司法試験予備試験受験」を書留で出した私を郵便局の担当者はどう思っただろうか。(自意識過剰!)
とにかく、賽は投げられた。あとはもう、やるしかない。
(と言いつつも、先週末も勉強時間がほとんど取れなかった。合格可能性は限りなくゼロに近づきつつある。)
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