受験老人日記~高齢で医学部と司法試験に大挑戦~

還暦を迎えた男が、医学部と司法試験を同時に合格することを目指すという無謀な冒険に乗り出した

受験をやめようか・・・・

話すのが遅れたが、実は、受験老人は、受験そのものをやめるかどうか悩んでいる。緊急事態が発生していたのである。
 


今から3週間ほど前のことである。故郷にいる父から連絡が入った。


「母さんが転んで腰の骨を折った。」
 


驚いた。腰の骨とは尋常ではない。


だんだん足腰は弱っているとは言え、また、少し認知症の症状が出始めているとは言え、まだまだ元気そうだった母だった。


私には姉がおり、やはり私と同様、父母から遠く離れて住んでいる。その姉の方に先に連絡が入ったようで、姉は飛んで帰ったらしい。


姉によると、母は圧迫骨折ということだった。ただ、ベッドで安静にしていれば1月ほどで骨がくっつき、再び歩けるようになるとのこと。



その後、特製のコルセットもでき、母も自ら立ってトイレに行ったり、電話をかけてきたりしていたので、まずまず順調に回復していると思っていた。


ところが、その後、母は痛い痛いと盛んに泣き叫ぶようになった。あんなに我慢強く見えた母が、夜昼のべつくまなくである。認知症も少し進んだようだった。


介護する父もへとへとになった。父は90歳を超えており、老老介護もその極みである。



私は、今回だけの我儘だと、不安な気持ちのままセンター試験を受け、その週末の母の世話は、姉にお願いした。


その代わり、先週は週末を含め4日間の休みをとって、妻と二人、車で西日本の故郷まで高速を飛ばした。


母は半分目を閉じたまま、私の顔を見ると、嬉しそうに微笑んだ。


ああ、どうしてもっと早く帰ってやらなかったのだろう・・・・私は激しく後悔した。


妻と一緒に食事の世話や、父の病院への付き添い、買い物、掃除、畑仕事と、あっという間に終わった。


ただ、率直に言って、認知症も徐々に進み、足も細ってとても立てそうにないように見える。父に何かあったら大変である。



それまで介護保険制度をほとんど利用していなかった両親も、利用し始めていた。


父は、ヘルパーさんにいろいろなことをしてもらえる。ありがたい。ありがたい、と、しみじみ言っていた。


私もそれまであまり考えたことがなかったが、この制度は、本当に困ったとき、実に有用なものである。


それに、介護士さんやヘルパーさんたちは、やはりプロであり、どうすればよいかよく分かっている。


ちょっと動かすだけで痛い痛いと言う母が、1週間に1度は入浴に行くようになり、その際はヘルパーさんたちは、母にほとんど痛がらせずに車いすに乗せたそうだ。



雪のちらつく中、再び車を飛ばして自宅に帰って来た時には、ふらふらになった。さすがに、受験勉強はほとんどできなかった。



私は悩み始めている。このような状況で、呑気に受験にうつつを抜かしてよいものか。


父も介護で共倒れになりかねない。我儘を言わずに、自分が故郷に帰って面倒を見ればいいだけではないか。



そのとおりである。ただ、故郷で再就職先が見つかるかどうか。勉強すること以外に取り柄のない頭でっかちの受験老人に・・・・。


とにかく、二次試験も近づいてきているが、せめて週末は姉と交代で帰省するようにしなければ。