受験老人日記~高齢で医学部と司法試験に大挑戦~

還暦を迎えた男が、医学部と司法試験を同時に合格することを目指すという無謀な冒険に乗り出した

天才児の末路

なぜか、ふと、思い出した。
あれは私が中学か高校の頃だったろうか。
当時購読していた旺文社の「○○時代」という月刊誌(今は廃刊)に、次のような記事が載っていたのを。


「韓国に天才児現る。」
その子は、まだ4歳か5歳かなのに、数か国語を操った。
大学の微積分をすらすらと解いた。
あらゆるところに、その才能を発揮した。


人々はその子に驚愕し、しかし、誇りに思うようになった。
その子はまだ幼くして大学の授業を聞いた。


私はその子が来日して、テレビに出たのを見たこともあった。
大学の先生から難しい数学の問題を与えられ、その場で見事に解いた。


その子は若くして天才の名をほしいままにした。
将来、ノーベル賞級の発明や発見を何個もするのではないかと期待された。
メディアはその子を大いにもてはやしていた。


だが、それから何十年もたったが、いまだにそんなことにはなっていない。
どうしたんだろうとふと気になった。そして、ネットで調べてみた。
その子の名前だけは憶えていた。確か「キム・ウンヨン」。
まさか死んだのでは・・・・。


ネットは便利なものである。その子のその後の運命も掲載されていた。
そして、知ったのは、以下のような事実だった。


キム君は、その後、米国の有名大学に行った。
そして、10歳足らずでNASAの研究員になった。
ところが、そこでキム君に不幸が襲う。
キム君には決定的に欠けている点があったのだ。


それは・・・・コミュニケーション力。
他人との会話が満足にできなかったのだ。
幼くして神童と祭り上げられたがために、そうした他人とのコミュニケーションを身につける機会がなかったのだ。


キム君は思い鬱病になった。
そして、何もかも捨てて米国から帰国した。
しかし、普通の生活を送ってこなかったキム君は生活の仕方がわからず苦労した。
韓国の有名大学にも入らず、普通の地方大学に進学したようだ。
マスメディアは、墜ちた天才と揶揄した。


しかし、キム君はそこで、普通の人生を取り戻し、幸せを感じたようだ。
大学の博士課程まで進学し、研究者になった。
愛する妻を得て、子供が生まれた。
そして、その子供に対して、キム君は何て言っているか。


「人生において大切なのは、体を動かして健康になること、
そして、友達をいっぱい作ることだ。」


意味深である。この天才児が、自分の人生を通じて得た教訓が、そういうことなのである。


受験老人は小さい頃、夢を持っていた。
オリンピックで金メダルをとり、不老不死の薬を発見してノーベル賞を取る。


だが、いつの間にかその夢はとん挫した。
もっともまがい物でもらったノーベル平和賞はあるが(以前のブログ参照)・・・・


しかし、そうしてマスメディアの注目を集め、有名になったところで幸せだったろうか。
そんなことを考えつつ、この天才児の言葉を噛みしめるのである。