受験老人日記~高齢で医学部と司法試験に大挑戦~

還暦を迎えた男が、医学部と司法試験を同時に合格することを目指すという無謀な冒険に乗り出した

東大受験・・・・その結果は?

今から40年前の大学入試には、センター試験やその前身の共通一次試験がない代わりに、東大だけは大学で一次試験と二次試験を設けていた。 一次試験はマーク式で、完全に足きりだったが、理科を2教科、社会を2教科受けなければならなかった。 私は社会の勉強はほとんどしておらず、一応、日本史と世界史を勉強していたのだが、選択肢は実に微妙で、下手に考えると間違えるおそれがあった。 そこで私は一大決断をした。その…

ついに東大を受験した

私の高校3年生はもう10月に入っていた。 どの大学や学部を受験するかについて、とりあえず、私は迷ってはいなかった。 それは東大の理科Ⅰ類だった。数学や物理、工学などを勉強するところである。 私は、自分は数学や物理の才能はあるのではないだろうかと思っていた。 中学時代、数学はほとんど何もやらずに100点を取れていた。 高校の時も、数学では最初は1番になっていた。途中からは急降下していったが。 だが…

やっと光明を見出すも・・・・

私は追いつめられていた。 頭の中を占めるのは、常に、失敗して何も言えずに立ち尽くす私。 どうしよう。どうしよう。 そのことを考えるといつも頭が真っ白になるのだった。 しかし、もう体育祭の結団式が数日後に迫ってきた時に私は少し、ひらめいた。 「そうか。話すことを考えてあらかじめ練習しておけばいいんだ。」 単純なことだった。 私はそれまで、スピーチというものは、何も事前に考えず、その場の雰囲気で喋れ…

勉強ができなくなる

私は、そうして、東大を受けようという思いが徐々に高まってきた。 だが、それどころではなくなった。 2年生の体育祭のスピーチで私はまた失敗した。 全く言葉が出てこなかったのである。何を話したらよいか分からなかった。 ど緊張し、その場に立ち尽し、あうあうという言葉しか出なかった。 ほとんど何も喋れずに席に帰る私を、皆は異様なものを見る目で見た。 私は、自分は馬鹿かと思った。 話をすることなど、誰でも…

こりゃ本当に東大に受かるかも

私は当時、進路についてあまり真剣に考えていなかった。 それから、大学を卒業してどんな職業につきたいかも、私の頭の中にはなかった。 つまり、先のことは何も考えていなかったのである。 そして大学については、私が住んでいたのは西日本であり、東大といってもあまりピンとは来なかった。 ただ、東大は日本一頭のよい奴らが行く学校だと思い、入れたらカッコいいなあ、という気持ちが漠然とあった。 東大に入って、さら…

東大を受けようか

前回のように私は結団式で大恥をかいたのだが、それは幸か不幸か、後後までは尾を引かなかった。 実際、体育祭の終了後にももう一度皆が集まり、クラス代表で話をする機会があったが、そのときはちゃんとできた。 体育祭での経験から、私の心の中で、これを話したいという欲求が盛り上がり、それをそのまま話したのである。その時は、むしろ気持ちがいいという感覚が残った。 ただ、それができたことで、私はあがり症とその原…

あがり症再び

実力テストで1位を取ったことで、私は皆から一目置かれるようになった。 悪い気持ちはしなかった。こそばゆくもあった。 その後、定期テストではダメだったが、 2学期になって実力テストで再び1位を取ると、私はますます注目された。 決して1学期の実力テストがまぐれではなかったことを実証したわけだ。 特別に時間をかけて勉強をしているわけではない。ただトレーニングペーパーを3科目、毎日やっているだけである。…

〇〇って誰だ?

さて、高校で初めての実力テストがあった。 入学時のテストでも中間試験でも成績が悪かった私は皆からほとんど注目されていなかった。 だが、私はひそかに自信を持っていた。 試験は英数国の基本3教科で行われたが、私はこの3教科についてはトレーニングペーパーをやり抜いていたからだ。 1日3時間の家での勉強で、実に効率的に知識を習得していた。 そして、実際の試験でも、まずまずの手ごたえがあった。 試験が終わ…

勉強以外のことで注目を集める

ところが、そんな私が注目を浴びた。それは、勉強以外のことだった。 私は中学校時代、ある部活に入っていた。 自分ではまずまず上手で、体力さえあれば人には負けないと思っていた。 実際に、県で優勝した相手をぎりぎりまで苦しめ、また一年次下の県の優勝者には2度勝った。 ただ惜しむらくは体力がなく、長丁場になると逆転されて負けた。 (自分ではそんな戦い方を改善したかったが、何とも体力が追い付かなかった。)…

君はそんなに勉強ができないくせに

私は、高校に入ったら中学校のように部活をやらず、勉強に専念しようとした。 家に帰ってからの勉強時間の3時間を、トレーニングペーパーと、学校の宿題に充てた。 結構集中してやった。だがそれ以外はのんびりと本を読んだりした。 だがそうすると、宿題まで手が回らず、やっていかないで先生に怒られた。 さて、私の行っていた高校は、繰り返し言うが田舎の学校である。 塾など行くものは皆無であり(そもそもなかった)…

高校の最初に失敗!

あまり長々と自分の半生を書き起こしていると肝心の医学部・司法試験受験のことが書けなくなり、焦点がぼけてしまう。 しかし、これらの受験に至った理由を書くのに、どうしてもこれまでの紆余曲折を書かないと片手落ちになる。 このため、ポイントとなることを中心に、もう少し書き進めていきたい。 とにかく私は高校に入った。 何の変哲もない田舎の公立高校である。 東大など、一年にせいぜい一人かしか行かないような学…

とっぽん事件

このブログ、現在は毎日2回、朝6時と夜8時に更新させてもらっている。 しばらくこのペースで続けていきたいが、今日だけは夜10時に更新することとした。なぜなら今回の話は読者が食事中だと気分を害するからである。(といっても夜食の方もいるかもしれない。失礼。) 現在、ブログ上では私は中学を卒業し、高校に入学したところまでになっている。今後もしばらくはこの半生記を続けていきたいが、ふと、私が幼稚園の頃の…

高校へ

それからというもの、私の勉強もやや投げやりになった。 中学の最終学年も夏を過ぎ、周囲は高校受験を次第に意識し始めているのが分かった。 だが大都市ではなく、また今から40年以上も昔のことである。 たしかに高校受験はあったが、おそらく今とは様相を異にしていた。 公立高校の方が私立高校より難しく、偏差値も高かった。 その公立高校も、普通科は総合選抜方式、すなわちいくつかの学校群がグループを作って入学者…

受験老人、失恋す

さて、私の中学校時代の話に戻る。 対人恐怖を克服した喜びから、私の躁の時期はしばらく続いた。 調子に乗って、当時、私が好きだった女の子に告白した。 こんなに調子がいいのだから、きっとうまくいくと思っていた。 我が世の春である。 だが、結果は、見事にふられた。 その女の子が友達を通じて私に送ってきたメッセージは 「○○君のこと、昔は好きだったんだけれど、途中から、勉強しかしない変な人というイメージ…

今年の司法試験合格者発表に思う

一昨日の新聞に、司法試験の合格者が1525人で今までで最少だったという記事が掲載されていた。 以下、ちょっと数値の話になる。説明が分かりにくかったら申し訳ない。 受験者の総数は5,238人なので、合格者が1,525人ということは、合格率は30%弱。 こりゃ、合格率は高い。ちょっと勉強すれば誰でも通るぞ、と思う人も多いかもしれない。 しかし、この数は、法科大学院を修了して受験して合格した人(第1ル…

人生で最も頭がよかった時期

考えてみると、中学3年生の、あの対人恐怖から脱出した時期、それこそ私の人生において、もっとも頭がよかった時期だったのではなかろうか。 やることが楽しくて仕方なかった。先生の話は1を聞いて10まではいないが3か4くらい理解できた。 理科の教科書を読んで、実験の裏にある原理を自分で推定して導くことができた。 それを教室で披露すると、先生から、「お前は答えを知っていたのだろう。」と皮肉っぽく言われた。…

スランプ脱出!

私は次の日から授業中に質問をすることにした。 私にとって幸いだったのが、できない生徒と違い、自分は極めてよくできる生徒だったことだ。 だから、質問はいくらでも考えることができ、先生の答えに対してさらに疑問を呈することもできる。 ええい、ままよと手を挙げた。「先生、質問があります。」 その声も震えた。いつものように、私の心臓は早鐘のように鳴りはじめた。 だが、今度こそ、絶対に逃げないぞ、という覚悟…

勇気を出せ!

その本を読み進めていくと、著者が不思議な夢を見たことが書かれてあった。 お父さん、お母さん、ごめんなさい。 そうして何度も何度も自分が謝っている姿である。 著者は、対人恐怖症に苦しみ、それを克服するためにいろいろな修行をした。 だがそれらはいつも中途半端に終わっていた。 直接やらねばならないことと向き合ってはいなかった。 自分はいったい何をやっていたのだろう。 結局、苦しみから逃れようとしていた…

試行錯誤

そのような状態はずっと続いた。 授業中、順番に当てられる。 当てられる少し前から私の心臓は早鐘のように鳴った。 口がバクバクして声が出ないのである。 先生が、そして皆が怖くなった。 自殺も考えた。 その頃はおそらく、うつ病とも言ってよい症状になっていたのだろう。 治る方法は試してみたが、どれもうまくいかなかった。 古代ギリシャの哲学者・雄弁家が石を口に突っ込んで話す訓練をしたと聞けばそれを真似た…

奈落の底へ

それ以来、私はなぜか、授業で当てられると緊張して声が震えるようになった。 なぜか分からなかった。 皆は驚いて私を見、私が震えるのを面白がった。 (実は自分自身がそう思っているだけだったのかもしれない。) 特に困ったのが音楽の時。 一人で歌うと、緊張で声が震えた。 ビブラートどころではない。声が出ないのである。 先生は、もっと腹に力を入れろと言った。 だが私は当時、運動部に所属し、腹筋は何百回でも…