人は何のために生きるか
(6月7日)
・簿記:ふくしま商業簿記ー貸倒引当金 工業簿記ー商簿工簿に必要な横断知識
・宅建:まんが宅建士ー不動産取得税・固定資産税、用語の定義
・数ⅠA:入門精講ー三角関数
・運動:腕立て53回、腹筋70回、筋トレ
・読書:踏切の幽霊(高野和明)
・畑:1時間半
大げさなタイトルにしてしまった。
人は何のために生きるか?
たいへん青臭い命題で、小さい時から自分自身も考えてきたが、
結論から言うと、そこに定まった答えはないと思う。
おそらくその答えを出すのに一番適しているのは哲学だと思うが、
ソクラテス:汝自身を知る
プラトン:イデア
アリストテレス:現実世界に形相が内在、愛知
デカルト:われ思うゆえにわれあり(自分存在の肯定から始まる)
カント:理性・判断力批判で結構体系的に哲学構築
ヘーゲル:弁証法
実証主義:最大多数の最大幸福
ニーチェ:神は死んだ(自分の運命を愛する、ニヒリズム)
キルケゴール:主体性は真理
・・・・
まあ様々だが、
私の知る限り明確に生きる意味や目的を納得のいく形で提唱したものはないと思う。
むしろ哲学は、そのような目的はともかくも、「善き生き方」を考える学問だと思う。
私の98歳の父は京大哲学科を出ているが、その点また議論してみたい。
一方、宗教はどうか?
もし神様がいるとすれば、「人生の目的」は与えられる。
現に、私がかつて聞いた宗教では
統一教会:自共の最終戦争による勝利
エホバの証人:最後の審判における復活による永遠の生命獲得
親鸞の教え:阿弥陀様にすがっての60段飛び越し信心決定
天理教:陽気暮らし
等々、様々である。
上記は印象に残るものをつづめて書いただけで、信者に怒られそうだが、
死後の幸福を目指し、それは神が本当にいるということが前提である。
もちろん神を信じることで普段の心の安定も得られる。
信心決定の場合はそうではなく、真のキリスト教信者は神をいつもそばに感じるともいう。
しかしそれらの神はおそらく全体で1つだけで、群盲像を撫でている状態かもしれん。
で、科学の価値を信じる受験老人としては、やはり科学的に考えたい。
しかし、生命の発生や進化を考えた時に、
人類は単に現在の生物体系・食物連鎖の穿った頂点に立っているにすぎず、
目的というのはないと思われる。
もしあるとしたら、進化を起こすのは環境に適応しつつ
最もその環境に適したものが生き残った結果である。
そして、脳・神経系の働きとしていろいろな欲望ができ、それらの欲望の結果となる。
芸術も、人間の脳にとって心地よい絵や音楽を美しいものとたまたま認識する結果か。
幸福を追い求めたりするのも、その幸福の定義は人によって違う。
なので、少なくとも人どうしの摩擦を少なくして
互いの関係をスムーズにいかせるために法はあり、現実妥協の結果だろう。
全体として考えるに、世の中に「真実」とうものがあるとすれば、
哲学、芸術、宗教、法等は、いずれも、独自の方法でその真理を獲得しようとしている。
だが、獲得できず、その周りをぐるぐる回っている。
古来から真実との距離は変わらない。
ただ、科学だけは、徐々に、「真実」に近づいている。
最後にそのものを獲得できるかどうかわからないが・・・・
と、偉そうに話してきたが、受験老人個人としては、
人生が有限である限り、何をやっても無駄に終わるため、
(宗教を信じさえすれば死後の幸福は約束されるがいまいち信じられない)
「不老不死の薬」作りを目指して当初、生命科学の道に入った。
だが日暮れて道遠し。
結局、今は限られた人生の中では、自分のやりたいことをやるしかないと思っている。
ただし、それは同時に、他人のためにもなればいうことはない。
そこに、やるべき意義が見いだせるからだ。
勉強は、やりたいことであり、ボケ防止であり、
また資格を組み合わせてできることを考えるのも楽しみであるが、
人に、年とっても頑張れるという姿をありのままに見せることで、
ちょっとでも勇気を与えられたら、それだけで幸せになれる・・・・
まあ、受験老人の現在の「生きる目的」である。また変わるかもしれん。
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