スランプ
ここまでまずまず順調に来ていた受験老人の勉強計画だったが、急にスランプに陥った。
田舎に帰ったのが原因だろう。
田舎では買い物に行って3食作り、片付けや桃の袋掛け、母の見舞いにも行った。
だが、それだけで勉強が進まなくなることはあり得ない。
かつてはもっともっと厳しい環境でスキマ時間を見つけ、勉強をやって来たはずだ。
・・・・おそらく母の認知症の進行にショックを受けたのが原因だ。
見舞いに行って以来、勉強しようとしても、なぜか力が出なくなったのだ。
受験老人がこうして医学部受験や司法試験に頑張ろうとしているのは、
もちろんまずは自分のため、自分の生きがいづくりのためである。
そして、2番目には、人の役に立つことをすること。どれだけ役立てるか分からないが。
しかし、3番目は、年をとっても頑張っている者がいることを示すことで、世の人たちに元気を与えるということだった。
その中には、若い人、年取った人、そして、父や母も含まれているのだ。
(妙なのだが、父や母は、いつも受験老人が何かに挑戦すると喜んでくれた。)
だが・・・・
こうした母の姿を見ると、受験老人の努力もてんで方向違いのような気がしてきた。
父や母のことを思えば、受験勉強などにうつつを抜かさず、
少しでも長くそばにいてやり、もっと顔を見せ、話をしてやらねばならないのでは。
そう思えてくる。
受験老人なりに、今の職場で定期的に帰省できる環境を十分確立できたし、
また医学部に行けば、近くに両親を呼び寄せて姉と一緒に世話をする構想もある。
だが・・・・あまりに荒唐無稽でもあるのだ。
また、医師国家試験や司法試験に何年か後に受かったとして、
はたして独り立ちしていけるのか?
単に資格を持っているだけで自己満足しただけに終わらないか????
・・・・そう考えると、ぶすぶすと元気が燻っていく。元気が出なくなる。
そして、このところ、勉強時間はがくりと落ちた。
いわば、スランプである。ネットサーフィンをやっているうちに毎日が過ぎている。
何とかしなければ・・・・
何とかしなければ・・・・
だが、これは本来、もっともっと前に考えておかねばならないことではなかったか?
そして、それに自分なりに回答を得、納得したからこそ、頑張って来れたのではないか?
何か、大切なことを見落としている。
それはいったい何だったか・・・・
受験老人は、どうやら大きな心の迷路に迷い込んでしまったようだ。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。