受験老人日記~高齢で医学部と司法試験に大挑戦~

還暦を迎えた男が、医学部と司法試験を同時に合格することを目指すという無謀な冒険に乗り出した

宗教、死後の世界、超能力(その12)~決別

「すみません。私は信じることができません。」
受験老人は思い切って言った。


Sは意外そうな顔をした。
ここまで自分が神とサタンの話をしてきたからには、きっと私も心酔するに違いない。
Sはそう確信していたのだろう。
Sは私に、その理由を尋ねた。


受験老人は答えた。
「私は、神は信じます。
生物が生きていたり、人間がいろいろなものを作り出しているのは奇跡的だと思います。
それから、これまでいろいろしてもらったお話は、とても面白かったです。
神様がいて、人間がいて、争いがある理由も、うまく説明していると思います。


ただ、それは仮説にすぎません。
この世に神様がいないとしたら、それは進化論で説明できると思います・
私はあまり勉強していないのでうまく説明できませんが。
むしろ進化論の方が合理的です。
だって神様はどうやって存在し始めたんですか? いったい誰が作ったのですか?


統一教会だけでなく、他の宗教でもいろいろな神の教えがあると思います。
統一教会の教えは、対立を克服することが必要だとしていましたが、
それは自分たちの教え以外のものは認めないという考え方です。
それなら、私はT教を信じたいです。そもそも信者ですから。
T教は、日々陽気に暮らしていくために、皆が幸せになることを願う宗教です。」


受験老人はその時、こんなに整然と説明したわけではない。
Sから問われながら、訥々と絞り出したのがこれらの言葉だった。
だがそうして話をしている間に、受験老人の思いも次第に固まってきた。


・・・要は、宗教は、誰かを遠ざけたり、誰かと対立したりしてはいけないのだ。
それから、宗教は、自分自身が、信じたいものを信じることに意義がある。
強制は絶対だめだと。


・・・・・
その後も、いろいろなやり取りがあった。
Sは、受験老人が統一教会のことを誤解していると言った。
そして、さらにいろいろな話をしようとした。
それは統一教会の教理を補強する話でもあり、私の考えを否定する話でもあった。
だが、その後受験老人はそんな話をいくら聞いても、心がそれになびくことはなかった。


もちろん、単に理論的に納得しなかったという、きれいごとではない。
やはり、受験老人は洗脳を恐れ、周りの自分を見る目を恐れていた。
そして何よりも、自分をこうして大学までやってくれた親を悲しませてはいけないという気持ちが強かった。


SやAは、一筋縄では私がなびかないと知った後、今度は向こうから私の下宿を訪れるようになった。
それは結構、執拗だった。週に複数回はやって来た。
私はいないことも多かったので、実際にはもっと頻繁に来ていたに違いない。
彼ら自身、心をしっかりつかんでいたと思ってい私に裏切られたという思いだったろう。そう、それはまさに愛の減少感、ルーシェル天使長の抱いた気持ちに相違ない。


彼らは、ぜひもっと議論し、真実を見極めていこうと私を説得した。
真の原理を私に理解してもらいたいと。


私はややもすると、そうした説得に流されてしまいそうになった。
だが、それを食い止めてくれたのが、まずは当時、私の最大の親友だったUだった。
Uの話はまた書きたい。


また、私はサボりたい気持ちを奮い立たせ、大学の授業にきちんと出席するため、専門課程からは大学のキャンパスの、道を挟んで向かい側に引っ越していた。
大学から1分で私の家に行けたのだ。
このため専門課程でできた友だちたちがちらほら私の下宿を訪れるようになっていた。
もちろん、彼らにとっては便利だからというのが第一の理由だったと思うが。


その彼らも、SやAに遭遇すると、嫌悪感をあらわにして彼らを遠ざけようとした。
しかし私との付き合い方がそれで減るようなことはなかった。
・・・・彼らは皆、いい奴だったのだ。


如才ないT大生たちが行く他の学科に比べ、私の進学した所は進振りの点数が低かった。
それゆえ、一風変わった奴、何年も留年している奴、情に厚い奴も多かった。
(実はノーベル賞受賞者のO博士も私の学科出身で、学年も近い。
彼も相当な変わり者だろうが情には厚いと思う。)


なお、誤解しないでもらいたいが、私は統一教会を決して否定しているわけではない。
どの宗教もそうだが、いったん信じれば、それは居心地のよい世界になるに違いない。
同じ目的をもって神を信じることができる。真の仲間になれるかもしれない。
実際、統一教会の人で性根が悪そうな人は一人もいなかった。皆、純真だった。


ただ、彼らの言うところの原理・・・・それはあくまで彼らにとっての原理だった。
そういう原理なら、もっと他にあるのではないか。


そして、私は猛烈に勉強したくなった。
神が本当にいるのか、理論的に、科学的に見極めてみたい気持ちが強くなった。
専門課程でいろいろな科学を学ぶうちに、特に生物の勉強をしたいと思うようになった。
本当に生物や人間の存在が、理論的に実証できるのか知りたいと思うようになった。
そうして、受験老人はその頃から、やっと本格的に勉強をするようになったのだ。


受験老人が、次なる宗教に接したのはその数年後・・・・
夢破れ、傷心のまま就職をしてからのことになる。


(次回に続く。)