宗教、死後の世界、超能力(その8)~洗脳された?
前回の続き。統一教会の合宿研修に参加した受験老人である。
ところが・・・・
残念なことに、その場で何を聞いたか、細かな記憶が欠落してしている。
なにしろ40年前のことである。
だから、以下にするのは、大雑把で不正確なものである。
講師たちは、いろいろな旧約聖書のエピソードを話した。
そして、イエス・キリストの話もした。
おそらく、彼らは、聖書のいろいろな世界を、神と、サタンすなわちルーシェル天使長との戦いの歴史だととらえていたと思う。
旧約聖書の世界では、人間はサタンからいろいろな誘惑を仕掛けられ、神はサタンと戦ってきた。
そして、新約聖書でも、神の子であるキリストは、サタンから戦いを挑まれた。
ある時は負けそうになるが、しかし、結局は打ち勝ってきた。
・・・・はあっ、そんなものか。
研修の最後には、受験老人は、面白い、長い長い物語を聞いたような気になった。
おいしい食べ物を次々と、いっぱい食べさせられたような感じだった。
他の研修生たちも、それぞれ、壮大な話に圧倒されたようだ。
皆、感無量と言う表情をしていた。
・・・・では、受験老人は洗脳されたのか?
・・・・
・・・・
・・・・
おそらく、答えはNoだった。
3日間かけて、話を聴いた。話の1つ1つ、そして全体を面白いと思った。
が、結局、受験老人はそこまでのめりこめなかったのだ。
それは・・・・今になって思うと、T教のせいだったろう。
T教は、そんなにメジャーな宗教ではない。
教祖の教えが歌に残り、信者は皆、その歌を手踊りや、立ち踊りで実践していた。
それはT教を信じていない人々には違和感を覚えさせた。
そして信者は皆、教会を支えるため、いろいろ寄進をした。
そのために金がなくなる信者だっており、貧乏神だと悪口をたたかれた。
だが、受験老人の中では、そうした手踊り等を通じた祈りにより、神というのは、いるものだと信じていた。
神様は、常に自分のことを見守ってくれていると、どこか安心した気持ちになれていた。
それは普通の感覚だったのだ。
だから、今回研修で、神の存在を、初めて理論的に知り、大きな衝撃を受けたであろう、他の研修生たちとは、本質的に違っていた。
また、愛の神であるキリスト教には共感を覚えたものの、サタンからの誘惑と戦いの歴史とみなしている統一教会の教えには、すっと入っていけないものを感じた。
それが、受験老人が統一教会の教えにそこまで気持ちが傾かなかった原因だった。
一方で、研修を通じても、聞いた教え自体はあくまでキリスト教の一側面だった。
決して、それほど、曲解した、おかしな話ではなかった。
これを信じる者がいたとしても、別に悪くはないのではないか、そう思った。
研修の後も、受験老人はSや、同級生であるAに請われるがまま、教会に行った。
だが彼らは、別にむりやり受験老人に信仰を強要することはなかった。
ただ、行くといつも新しい話をしてくれた。
それは、たいていは神とサタンという観点からみたいろいろなエピソードだった。
そして、サタンがこのように悪さをする原因、それは愛の減少感にあると。
神の愛を人間に奪われたことの憎しみがサタンをこうした行動に駆り立てるのだと。
話は一貫しており、ぶれることはなかった。
そして、話が終わると、たいてい女の人たちが食事を出してくれた。おいしかった。
U以外には友達がいなかった当時の受験老人は、そうした皆の暖かさが身に染みた。
彼らは、本当にいい人たちだ、受験老人はそう思った。
だからなぜ、皆が統一教会(T大では「原理研」と呼んでいた)を悪く言うのか、分からなかった。
だが、そんな時、受験老人はある事件に遭遇したのだ。
(次回に続く。)
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