高齢でも本当に医師になれるのか?
高齢でも本当に医師になれるのか?この問題は受験老人もずっと考えてきた。
高齢で医学部に入学したとしても、頭の働きが悪く、留年を繰り返すだろう。
先生方も自分より年上の学生に指導しにくいだろう。
国家試験に何年も落ち続けるだろう。
体力が続かず、研修で脱落するだろう。そもそも研修を引き受けてくれる病院はないだろう。
たとえ医師になれたとしても、その後わずかな期間しか医師を続けられないだろう。
そんなこともあって、55歳で群馬大医学部に落とされた女性をはじめ、高齢者受験不利論は渦巻く。
以前このブログに書いたように、私自身が直接確認したものもあった。
ただ、それは面接点から自動的に何点かを引くというあからさまな基準ではなく、打合せで高齢では無理だと判断したということにすれば表面にも出てこない。
私はそれに対し、いろいろ反論を考えた。
東日本大震災の際に、被災地に何度も出張を繰り返し、当地に医師が不足している現状を目の当たりにしたことで、被災者の心のケアもできるような精神科医になりたい。
かつて手術に失敗し失明しかけたのに邪険に扱われたことから、医師と弁護士の両方の資格を持つことで医療裁判ができる弁護士になりたい。
自分は体力に自信がある。少なくとも85歳までは現役を続ける。
しかし最近、これに加えて、考えることがある。
確かに医師は現在は大変なのだが、将来的には内科はラクになるのではないか。だから、高齢医師で体力がなくても務まるようになるのでは。
それは何故かというと、AIの医療現場への導入である。
先日シンポジウムで、診断システムである「ワトソン」は、普通の医師かそれ以上の能力で病気を診断できるようになっていることを知った。
特に、画像診断用のAIは、優秀な病理医よりも正確に診断できるようになっているという。
これなら、医師はAIに診断を任せればいい。
そんなに機械任せではなく、仁医にならねばならない、という意見もありそうだ。
しかし、仁医ではあるが下手な医師か、仁医ではないが名医のどちらを選ぶかというと、自身の経験から、私は迷わず後者を選択する。
いくら仁医でも、病気を治してくれなかったら意味がない。そのために重大な病気を見落とし、治らなくなってしまったら意味はない。
AIによる診断は、一見冷たいようにも見えるが、どこでも正確な診断を下してくれる。医師もこれに従えば、当たりはずれはない。ポカがなくなる。
まあ、日本に何人かしかいないような名医にはまだまだかもしれないが、やがてAIはそれに追いつき、追い抜くだろう。
さらに、米国等でプロジェクトが始まっているプレシジョン・メディシン(精密医療)も、AIが用いられている。
ゲノムの情報、診断の情報、それから患者が生活しつつ身につけた機器から日々送られてくるビッグデータをもとに、AIが総合的に判定を下し、患者にあった予防法や治療法を指示するのである。
がんが見つかった場合、ゲノムの情報から、その人に最も適した薬剤が提供される。それは迷いなく提供される。
こうすると、医師(特に内科医等)の役目は、AIの情報を正確に患者に伝えるという役回りになってしまうだろう。そう、薬剤師のように。
これなら受験老人もなれるかもしれぬ。
将来は、手術も完全な機械化が望ましい。どんな微細ながんも取り切ることができるような。そして、どんな病気でもゲノムの変異に応じて治療可能な薬の開発が必要だ。
そのために必要なのは、疾病のメカニズム解明や、すぐれた技術の開発である。医学だけでなく、理学や工学の研究がもっともっと必要だと思う。
この世の病気が全て治れるようになればいいのに・・・・そのために日本の国家予算の半分くらいを費やしてもいい、と私は思う。
(思わず熱くなり、高齢医師の話から逸脱してしまった。しかし、AIを用いればいいのは医師だけでなく、弁護士だってそうだろう。むしろ司法こそAIによる完全公正なる裁判が必要だ。検察も弁護士も要らない。自己否定につながるが。)
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