受験老人日記~高齢で医学部と司法試験に大挑戦~

58歳の何のとりえもない男が、医学部と司法試験を同時に、しかも短期間で合格することを目指すという無謀な冒険に乗り出した

祈ります。

私はこの「受験老人日記」を、あくまで自分のために書いてきた。この日記を書くことで、今までの自分の人生を振り返り、また、カミングアウトすることで、自分を鼓舞しつつ勉強できると考えたからだ。


それでも、私のブログを見てくれている人たちがいればうれしく、「nice」のボタンを押してくれる人たちにも励まされる。


最近、私の記事に「nice」と入れてくれた人がいた。ところが、その人のブログを見て、はっとした。


その人は、膵臓がんで、医師から余命1年を宣告されている女の人だった。


なんで、私なんかのブログを見てくれたんだ・・・・
私は混乱し、思いめぐらせた。
たぶん、大学院時代をがんの研究所で過ごしたという過去があったからかもしれない。



私だったら、もし余命を宣告されたら、自暴自棄に陥り、何をやることもできず、毎日泣いて暮らすだろう。私は弱い弱い人間だ。


実際、今から4年前、両目が網膜剥離になり、しかも手術に失敗して片目の網膜がぐじゃぐじゃになり、失明するだろうと医師に言われたとき、目の前が真っ暗になった(シャレじゃない!)。


目の前の全ての光景がぐにゃりと曲がり、文字など、とてもじゃないが見えなかった。


私は毎日泣き暮らした。もうどうにでもなれと思った。早く死にたいと思った。


その時は、他人のブログなんか、見ることなんかできなかった。


ただし治療法や治療の本については残ったど近眼の片目で一生懸命探し、その結果、何とか名医を見つけ出し、すごい手術をしてもらって助けてもらった。


それが、今回医師を志す、動機のひとつになっているのは間違いない。



私としては、がん患者や難病の人たちには希望を捨てずにいてもらいたい。


私はかつて、米国の国立衛生研究所(NIH)を訪問したことがあった。日本の全ての省庁のライフサイエンス予算を合わせたより10倍くらいの予算を1つの研究機関で持っている。すごいところだ。


そこの病院では実に多くの臨床試験をやっていた。しかも、太っ腹なことに、参加費用はタダで、家族の分も含め滞在費も支給してくれるのである。


外人も参加可能であるので、日本からも参加できる。本当に太っ腹だ。


そして、日本でも和歌山では、転移した膵臓がん等の患者で、他の療法で効き目のなくなった人に対しても、免疫療法の治験が始まっているそうだ。まだあきらめるのは早いと思う。


どんどん医学は進歩している。何としても。


ただ、あまりに新療法に期待しすぎても、うまくいかなかった時はつらい。
一番は、真に患者のことをよく考えてくれる専門の医師に当たること。
患者の考えをよく聞いてくれ、患者にとって最適な治療法を選択してくれる医師に当たること。
その人のブログでは、今のお医者さんは信頼できそうだと思った。



一方、心のことはたいせつだ。


私がそんな目の病気で苦しんでいる時、改めて実感したのが、他人から「がんばれ」と言われるのがつらいということ。


今、必死に耐えている。もうこれ以上、どうやって頑張るというのか。それに、いくら頑張ったって、失明するしかないじゃないか。その時は正直、そう思った。


絶望にあえいでいる人に「がんばれ」と言うなというのは、身内や家を失った東日本大震災の被災者たちに対するものとして知られるようになったが、


元はと言えば鎌田實医師が、治療法もなく絶望に瀕した患者に対する態度として提案したことで知られている。



ただ私は、それよりもっと前に、このことに言及した人がいるのを知っている。(私の勘違いかもしれないが。)


それは、遠藤周作である。彼が看護師から聞いたこと。


絶望的な病気にかかった患者に何と話すかというと、それは「がんばって」という言葉ではない。


そっと、その患者の手を握ってやることだ。


「私も生きている。貴方も生きている。だが、この世の全ての人は、いつまでも生きているわけではない。皆、同じなんだ。いつかはあなたと同じところに行く。あなたはひとりではない。」


そうした気持ちが、手を握るという行為で、患者に伝わるとのことだ。


・・・・今から何十年も前に読んだので、不正確かもしれないが、これは本当のことなのかもしれない。



今、私は別の励まし方を見出した。


24時間テレビでマラソンを行うのは何のためか分からなかったが、それは、タレントが頑張っているところを見せることで、弱っている人に元気を与えることではないか。


私は一介の老人である。


しかし、こんな老人が、とにかくがむしゃらに、無謀な目標を立てて、ドン・キホーテのように挑んでいる。


それでも、こんな年で、がんばっていることを見せることが、世の中の人たちの励みにならないか。そう思うのである。


まあ、勝手な思い上がりにすぎないが。



そして、私は、勉強しながら、毎日その人のために祈ることにした。何とか元気になってもらうことを信じて。


ただひたすら、勉強し、勉強しながら、祈りたい。もし迷惑でなければ。
貴方は絶対、ひとりではない。人間はつながっている。