本庶先生のこと
このブログは今後1日1本を基本とすると言ったが、緊急投稿させてもらう。
本庶先生のノーベル賞に、心からおめでとうと言いたい。
私が本庶先生に初めて接したのは、今から30年くらいも前のことだった。
行政をやるようになってすぐ、私は免疫系の研究推進方策作りを任された。
そこで当時の有名な免疫の先生を集めた。もう忘れたが、多田先生、高久先生等々、大御所の人たちが集まった。
本庶先生はその中にいた。一番の若手だった。
あのインターロイキンを発見したばかりで、他の先生方と違い、現役バリバリの研究者だった。
だから、私としては、政府の会合で貴重な研究の時間を費やさせ、申し訳ないなあという気持ちが強かった。
先生は当時は映画から抜け出してきたような色男だった。
議論が始まった。どのように報告書を書いていくかということが問題になった。
会議の大勢として、分子レベル、遺伝子レベルから、細胞レベル、組織・器官レベル、個体レベルというように、すなわちミクロレベルからマクロレベルに向けてそれぞれやるべき対策を立てればよいという話になった。
だが、そこで、本庶先生は発言した。
「いつも免疫系の方針を立てるときはそんな話になるが、本当の研究とはそうじゃない。まず現象があり、その謎を解くために機関や組織、細胞、そして遺伝子や分子に帰着するのだ。だから、順番は逆にした方がいい。」
はあっ、報告書作りでそれはないだろっ。担当者として私はそう思った。
実際に本庶先生の意見は否定され、報告書はオーソドックスな形でまとまった。
だが、今から考えるに、本庶先生は、本当に、真剣に研究のことを考えておられたんだなあと思う。
行政では、常に無難に、あまり誰からも文句が出ないようにということが重視される。
だが、それではなかなかブレイクスルーは出ないかもしれない。研究グラントの仕組みにしてもそうだ。大胆に変える必要があるかも。
本庶先生はその後、科学技術会議の議員等になられ、それなりに改革もされつつ、研究にも、その実用化にも情熱を注がれた。
それがオブジーボとなって開花したが、そんな本庶先生を見ると、本当に人間としてやるべきことを全部なされたような気がする。
これは別の話だが、かつてカミオカンデを利用したニュートリノの観測で小柴先生がノーベル物理学賞を受賞した時、小柴先生はこう言った。
「私の研究は役に立たない。だが、役に立たない研究だが、(人類の知の遺産のため?)やる必要がある。」
だが、医学の世界ではそれは通用しない。医学の研究は、あくまでも患者のためにするものだろう。
(これは私ではなく、バイオ界の大御所である中村佑輔先生が持論とされていることである。)
その意味で、研究が基礎研究としても立派な発見となり、さらに多くの人々のがんを治し、人のために役立つこと。
こんな本庶先生の軌跡は、まさに私がやりたかったことだった。ただ、目的は「不老不死」だったが。
ああ、自分の一生はいったい何だったのか。
自分のやりたいことでもなく、また、人のために役立つでもなく・・・・・
そしてまた、自分は、いったい何をやろうとしているのか・・・・・
自分が実にちっぽけに見え、受験老人としては思い悩んでしまうのである。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。