受験老人日記~高齢で医学部と司法試験に大挑戦~

還暦を迎えた男が、医学部と司法試験を同時に合格することを目指すという無謀な冒険に乗り出した

いじめられっ子だった


私は、小さい頃から人に馬鹿にされることが多かった。


親に放ったらかしにされていたからだ。


両親は共働きだった。私の面倒はだれもみない。いわゆる「カギっ子」だった。



着るものもいい加減。いつも同じ服をよれよれとしたまま着ていた。


それから、人の話を聞かないという悪い性癖があった。授業中、先生の言うことを聞かず、自分の世界に没頭していた。


また、先生の話を聞かないのでよく忘れ物をした。



すると、周りの子供たちから馬鹿にされた。


周りの子供たちは皆、親が立派で、小ぎれいな服を着せてもらっていた。


皆良い子だった。



いじめは当時にもあった。今のような陰湿さはなかったという人も多いが、私はそうは思わない。


子供なりに、偉そうにするやつがいた。


親が金持ちだったり、地位が高かったりしたからだろうか、あまりよく分からない。


でも、私はそんな奴らのことが嫌いだった。鼻持ちならないように思えた。


そして彼らに反抗的な態度をとると、とたんにいじめのターゲットにされた。



うす汚く、忘れ物も多く、決してできる子ではない私には、あまり味方はいない。


ある時、学校の帰りに、クラス全員から、寄ってたかって袋叩きにされた。1対20くらいである。


でも、その時、「負けるもんか」と思った。


私はそのうちの、いちばん強そうな1人だけをターゲットにして、他から殴られても意に介さず、そいつだけに向かっていった。


すると、油断していたのか、そいつは私に一方的にやられ、大泣きした。


すると皆がひるんだ。その隙に私は逃げたのだ。


でもその後、いじめはやんだ。


たとえ皆でいじめても、このようにだれか一人が私から徹底的にやられると危ないと思ったからだろうか。


そう、私は「アブないやつ」だと思われてしまったのかもしれない。



そんな私だったのだが、たとえいじめられても、外で遊ぶことは好きだった。


主要な科目、つまり国語、算数、理科、社会はできなかったが、体育と図工と音楽はできた。差がくっきりしていた。


身長だけは高く、また、ものを作ることも好きだった。


そして、母が休みの日にピアノを教えていたため、私も習った。


嫌になってすぐにやめてしまったが、音楽の感覚だけは身についた。



そんな私に対して、父や母は何も言わなかった。


今の親なら、もっと勉強を頑張れと言うだろうが、これは私の両親の方針。


つまり自由でのびのび育てようとしたのだった。


というか、子供の世話をするのが面倒だったのかもしれない。



まあ、主要科目ができなかったのは、授業を聞かず、宿題もやらずといったことだから、仕方ない。


でも、あるとき私に、自分はもしかしたら、頭がいいのかもしれないと思うようなできごとが起こった。