人生、急ぐべからずだが・・・・
このブログもだんだん現在に追いついてきたため、書きためておいたストックがなくなってきた。
それとともに仕事での忙しさも増してきたため、そのうち毎日の更新とはいかなくなるだろう。
それに、勉強とは、そんなに劇的なものではない。確かに結果が出れば、それが合格であれ不合格であれ、センセーショナルである。
だが、それに至る過程は、極めて地味なものだ。しかし、そうした不断の努力を惜しまぬものが結局は勝つと思う。
受験老人が好きなのは徳川家康の遺訓だ。
「ヒトの一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つことばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。己を責めて人を責むるな。
及ばざるは過ぎたるに勝れり。」
けだし名言である。
まっ、私は確かに焦りすぎている。1年で成果を出そうとしている。そんなにあくせくする必要がどこにあるのか。
この名言は、失敗した人や落ち込んだ人に、まだまだ挽回のチャンスがあると、励ますためには有効だ。私もそのような状態の時にはこの名言に大いに救われた。
だが、今の気持ちは少し違う。人生は今日しかないと思って、一日一日を悔いなく全力で生きていきたいと思うのだ。
それが生きがいになる。明日はないと思えば、今日できることをできるだけやるしかない。
最近、ある人と食事をしていて、こっそり現在の計画を打ち明けた。
その人は私が尊敬してやまない先輩である。もう仕事はやめて国に戻られたが、その代わり、驚くほど精力的な生活を送っている。
絵画、マラソン、エアロビ、ブログ、随筆執筆、語学学習、さらに2年間でスペインのサンチャゴ巡礼を2度のほか、お遍路、熊野古道遍路を行い、それぞれ旅日記をまとめている。
・・・・現役時代より活躍しているのではないかと思えるほどだ。こうした自由人は受験老人の理想でもある。
その人は、私の計画を認めてくれた。
「それは君の挑戦だね。挑戦は大いに結構。三浦雄一郎さんと同じだ。」
・・・・私は心が洗われる思いがした。そうか、そうなんだ。
86歳の三浦雄一郎さんは、現在南米最高峰(アコンカグア)に挑戦している。あの歳でそんなことができるとは、到底信じられない。
だが、考えようによっては私も同じ。衰えた頭脳で、どこまで挑戦できるかだ。
しかし、おそらく三浦さんは、そのための訓練と周到な計画を練って臨んでいると思う。
はたして受験老人にそれがあるか・・・・いや、ない。
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