受験老人日記~高齢で医学部と司法試験に大挑戦~

還暦を迎えた男が、医学部と司法試験を同時に合格することを目指すという無謀な冒険に乗り出した

やんごとない方たちとの思い出(その1)


皇居勉強法のことを書いたついでに、皇室との思い出話を。



まず皇太子さん。(親しみを込めてさん付けで呼ばせてもらう。)


受験老人は皇太子さんと同じ学年である。


私が生まれた年はミッチーブームで沸き返った。


皇太子さんが生まれた後、たまたま家の近くを両陛下の車が通りすぎたことがあった。


皆、日本の旗を振ってその車を見送った。


私の父は、この時、まだ小さかった私を抱えつつ、母に「○○(私の名前)だって、いつか皇太子さまに負けないくらい立派になるぞ~。」と言ったそうである。


我が子びいきだった。



子供の頃、私は妙に皇太子さんのことを意識していた。


小さい頃の私は、要領が悪かったこともあり、何をやっても怒られていた。皆からいじめられ、差別を受けたりした。


一方、皇太子さんは、何をやっても皆からちやほやされる。けなされることなどない。


皇室なんて、いつもにこにこ笑っているだけで、ラクな商売だ、そう思っていた。


ようっし、勉強で見返してやる、と奮起した。いつかものすごい発明をして、立派な人間になってやる。


だが、私の能力のなさや、方向性が間違っていたからか、結局、それが芽を出すこともなく、いまだに父の予言は達成されていない。



でも、皇太子さんは美智子さんの教育もあって、立派に成長された。


雅子さんとの結婚の際のインタビューを見て、ああ、この人は本当にしっかりした人間なんだなあ、と心底思った。


そして、おそらく彼は、雅子さまや愛子さんの病気への対処や、さまざまな行事等も経て、ますます立派な人間になっていると思う。


それに比べ、自分は何なんだ・・・・全く成長していない。この歳になって、いまだにムキになって受験勉強に取り組んでいる。


なお、残念ながら皇太子さんと受験老人との接点は今のところない。



次に、秋篠宮家のこと。


私はとある国際会議の担当をしていた。その会議に秋篠宮さんが出られることになった。


このため私はその会議の概要を説明するため、部下とともに東宮御所に赴いた。


相手はもちろん殿下直接ではなく、K庁の人たちである。


ところが、説明をするため、ある建物に入ろうとすると、後ろからコニコしながら女の人がやってきた。


えっ。



・・・・紀子さんだった。私はあわててドアを開け、先に入るよう促した。彼女は私にはじけるような笑顔を返してくれた。


まさか紀子さんに説明するのか・・・・私はド緊張した。


だが、やはり私の勘違いだった。


紀子さんは、その建物の中に置いていた服を選んでいるようだった。あれこれ探しているようだった。(それも私の勘違いだっかもしれない。)


私はそちらが気になって仕方なかった。とにかく、光り輝いていたのである。天真爛漫な感じがした。



結局、その国際会議には秋篠宮さんが出席された。


嬉しかったのは、私が原案を書いた挨拶用の英文の原稿を、秋篠宮さんはほとんど修正されずお読みになったこと。


私の英語力など恥ずかしいかぎりだが、それでも採用してもらったのは嬉しかった。まあ格調や品位はなくとも、文法的には間違っていなかったのだろう。


だが、そんなことよりも、彼が到着されてから帰られるまでの間、会議全体をコーディネートをしていた私は、異様に緊張したのは言うまでもない。


やったことがある者だけが分かるが、皇室のコーディネートは、大臣等のコーディネートよりはるかに気を遣うのだ。



中でも、天皇・皇后両陛下のコーディネートは、この比ではない。(次回に続く。)