受験老人日記~高齢で医学部と司法試験に大挑戦~

還暦を迎えた男が、医学部と司法試験を同時に合格することを目指すという無謀な冒険に乗り出した

ある研修


この日記ではこのところ、私の子供時代からの経験を綴っているが、今回は、最近のことを書かせてもらう。いつもより長くて読みにくいが、御容赦願いたい。



先日、職場である研修があった。それはコミュニケーション研修。


仕事相手や職場内での意思疎通をよくしようということで、外部講師を呼んで行われた。



私は普段、職場では閉鎖的な部屋にひきこもっており、部屋を訪れる人たちと話すほか、積極的な人との対話がない。いわば独居老人のようなもの。


だから、恐ろしくコミュニケーション力が低い。何か、改善のためのヒントでももらえればと、参加した。



会場は若い人だらけ。確実に、私が一番の年長だっただろう。しまったあ、場違いだったか。


だが始まってみると、和気あいあいとした雰囲気で、自然と溶け込めた。



方式としては、まず講師にコミュニケーションのコツを聞いた後、実践練習を行う。


すなわち、誰かと組になり、与えられたテーマで会話の練習をし、スキルアップを図る、というもの。


私の相手は入りたての新人君。一方の私は退職が近い。部署が違うので互いに知らないどうし。


ここは一丁、先輩らしく範を示さねば、と気軽に考えたのが間違いの元だった。


いきなり私が思い知らされたこと・・・・自分自身、驚くほど、何もものを考えていなかった!!



「最近、嬉しかったことを話せ」とか「最近、ちょっと気になっていることを話せ」とか、他愛ない命題を与えられたのだが、すぐに答えが出てこない!!


私の相手は、先輩に食事に連れて行ってもらってうれしかった、とか、昔勉強を教えていた高校生が無事に大学に受かったか気になる、とか、次々に出てくる。


だが私たるや、えっ、嬉しいこと??、気になること??・・・・いくら頭を絞っても、容易に浮かんでこない。


ようやく何かを捻り出した。だがそれはどう考えても、本当に嬉しいことでも、気になることでもない。


結局、自分を偽りつつ無理やり話をしようとする・・・・結果、私の話は実につまらないものになってしまった。



・・・・私の日常生活はいつの間にか、すっかりルーティン化し、新鮮な驚きを感じることがなくなっていたのだ。


自分というものをじっくり見つめたり振り返ったりする機会が失われている。こりゃまずい。


この「受験老人日記」は、そのためのよい訓練になっているとも思うが、それじゃダメなのか???



ただ、私がこの研修で学んだ、今後いちばん習得したいと思った技術・・・・それは「相手を認める姿勢」。


人は、相手との熱い討論や、ちょっと意地悪な質問に対しては、ついついムキになり、明確に直接的・紋切り型で説明や反論をしようとする。


(先日の体操界でのトラブル時のインタビューで、「全部ウソだ」などと言ったのはその典型??)


すると、対話がざらざらとして、殺伐たるものになってしまう。



だから一歩引いて、「○○さん(相手の名前を言う)、貴方の言いたいことは○○ですね。ようく分かります。これに対しては、○○・・・・」


つまり、まず相手の言うことを認めてやろうという気持ちが大切だということ。



たまに職場でも、これができない人を見かける。


タチが悪いのは、まず相手を否定してみせること。自分は偉いんだという臭いをぷんぷんさせ、相手の上に立とうとすること。


それでは相手の恨みを買いこそすれ、納得・感謝されないだろう。(最近はそんな人はあまり見かけなくなったが。)



逆に、相手のことをまず認める。


相手が何を言いたいか、まずそれをしっかり把握し、自分はあなたが何を言いたいか、ようく分かっていますよ、ということを相手にわからせる。


それこそが必要。つまり、相手の一番の望みは、自分の言いたいことを分かってもらいたい、という場合がほとんどだから。(最終的に肯定するか否定するかに関係なく。)



・・・・
また大きな地震が発生した。台風の被害も含め、被災者たちのことを思うと不憫でならない。


ただ人間は、自分自身がその立場に立たないと真に被災者の気持ちは分からないものである。


鎌田實博士の「がんばれと言うな。患者は既にがんばっている。」というのは、東日本大震災以来、被災者に接する心得として使われてきた。


じゃあどうするかっというと、たとえば看護師は患者の手をそっと握ってやればいいとのこと。


貴方のことはく分かっているよ、と寄り添う気持ちを持つこと。


今回の研修での教訓は、そのことを改めて分からせてくれたことだと勝手に私は解釈している。



万万が一、医学部に合格したなら、絶対に、患者の気持ちに寄り添う医師になりたい。


働ける期間は短いと思うが、私を選んでくれた患者さんには、この先生はおじいちゃんだけれど、自分のことをよく分かってくれる、と思ってもらうようになりたい。


まあ、それも自分勝手な理屈であり、妄想ににすぎない。今の私は明らかに自分自身のために努力している。何と我儘なことか。


本当は、自分のためになることが自分の好きなことでもあり、しかも他人のためにもなる、そういうことができればほかに望みは何もないのだが。